第四章 万死一生(ばんしいっしょう)10
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
三十八
雪か……。
鈍色(にびいろ)の曇天から舞い落ちる粉雪を見上げ、晴信は微(かす)かに眉をひそめる。
それから、千曲川と依田川(よだがわ)が合流する長瀬(ながせ)に眼を移す。
その視線の先に、武田勢がめざす大屋の追分があった。
――雪が積もるほどではなさそうだが、やはり、寒さが骨身に沁みる。一刻も早く陣を設(しつら)え、暖を取れるようにしなければならぬ。そろそろ先陣が動くはずだが……。
晴信の意を察したように、隣にいた弟の信繁(のぶしげ)が訊く。
「兄上、渡河の段取りを今一度、確認いたしまするか?」
「そうしよう。板垣(いたがき)を呼んでくれ」
「承知いたしました」
信繁は素早く動き、信方(のぶかた)と足軽大将の室住(むろずみ)虎光(とらみつ)を伴って戻る。
「板垣、渡河の支度はどうか?」
晴信の問いに、先陣大将が答える。
「万端に整っておりまする」
「さようか」
「まずは足軽隊が先行し、足場を確保いたしますゆえ、それについては室住からご説明を」
信方は先鋒を受け持つ室住虎光に話を受け渡す。
「御屋形(おやかた)様、最初の渡河は距離にしますれば、ほぼ一町分、六十歩(ぶ)(約一〇八㍍)といったところにござりまする。当然のことながら、千曲川の対岸には敵の弓箭(きゅうせん)隊など伏兵があるものと考え、そのために対策を施してありまする。一間四方(約一・八㍍×一・八㍍)、つまり畳二枚分の大楯(おおたて)を作りましたゆえ、これを足軽二人で持ち、横に四枚を並べて押し進みまする。その後ろに三列の槍足軽が続き、合計三十二名を一隊として矢を防ぎながら対岸へ渡り、敵の伏兵がいれば槍足軽が露払いいたしまする。この要領で、まずは十隊の足軽を渡らせようと考えておりまする」
室住虎光の説明では、三百余の足軽隊で千曲川の岸辺に足場を確保するという。
「渡河のための大楯とは、よく考えたな」
晴信が感心したように呟く。
「こたびの戦は川を渡らねばならぬ機会が多いゆえ、われら足軽の兵が騎馬を守るために率先して動きまする。もっとも、この大楯の策を進言してきたのは、山本(やまもと)菅助(かんすけ)にござりまする」
「菅助か……」
「あの者はこうした策を練るのが得意なようで、大楯についても自ら試作したものを持ち込んできました。把手(とって)の据え付け方や前方を確認する覗き穴など芸の細かい造作も施してあり、面構えに似合わず、まことに器用な漢(おとこ)にござりまする」
「なるほど」
晴信にも覚えがある。
確かに竜王鼻(りゅうおうび)の治水の際にも、山本菅助の的確な働きで迅速に事業が進んだ。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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