よみもの・連載

信玄

第四章 万死一生(ばんしいっしょう)10

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

「渡河足軽隊はあと二組、六百余がおりますゆえ、大屋の追分に足場を築きましたならば、先陣隊とともに神川の渡河に向かいまする。その間、御屋形様の本隊と後詰(ごづめ)に千曲川を渡っていただきまする」
 室住虎光の言葉に、信方が説明を加える。
「大屋から国分寺表までは、ほぼ半里(二`)、ちょうど中間に神川が流れておりまする。われら先陣は一気に神川を押し渡り、国分寺へ攻め込むつもりにござりまする」
「千曲川の水嵩(みずかさ)は、どのくらいか?」
 晴信が訊く。
「おそらく、冬枯れで一尺(約三十a)から一尺半、最も深いところでも二尺と見立てておりますゆえ、臆することなく進みまする」
 室住虎光が満面の笑みを浮かべる。
 しかし、その顔には幾筋かの刀瘡(かたなきず)が刻まれ、百戦錬磨の古兵(ふるつわもの)らしい凄味を醸し出していた。
「支度に不足がないことはわかった。されど、くれぐれも用心を怠たらぬよう頼む」
 晴信が念を押す。
「承知いたしました」
 信方が言葉を続ける。
「渡河の機については、それがしにお任せくださりませ。始まりと同時に使番(つかいばん)を走らせますゆえ」
「うむ、わかった」
 晴信は小さく頷(うなず)いた。
「では、失礼いたしまする」 
 先陣大将の信方と室住虎光は、千曲川の長瀬に向かった。
 これが天文(てんぶん)十七年(一五四八)の二月二日早朝のことであり、小県攻めの始まりだった。
 室住虎光の号令で最初の渡河足軽隊が動き始める。
 大楯隊が千曲川に降り、水嵩と川底の具合を確かめながら慎重に進み、その後ろに槍足軽が続く。渡河が半分を過ぎても、対岸には何の動きもなかった。
 それを確かめた室住虎光は、さらに二組六百余の渡河足軽隊を同時に動かす。四半刻(三十分)ほどで足軽たちは千曲川を渡り終え、大屋追分に足場を築く。
 室住虎光の後方で、先陣大将の信方がその様子を見守っていた。 
「昌信(まさのぶ)、足軽隊が無事に足場を築いたゆえ、先陣の渡河を始めますると御屋形様に伝えよ」
 信方は使番の香坂(こうさか)昌信に命じる。
「はっ」
 昌信は素早く踵(きびす)を返し、弾かれたように走り出した。
 信方は眼を細めて前方を睨(にら)む。
 ――敵は千曲川の渡河を狙ってこなかった。あえて別の策を取ったのか、あるいはそこに伏兵を置く余裕がなかったのか……。真実はわからぬが、国分寺表で迎え撃ってくる公算が大きくなった。緒戦でしくじるわけにはまいらぬ。
 眦(まなじり)を決し、信方が采配を振る。
「われらも行くぞ。続け!」
 先陣騎馬隊が渡河に向かう。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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