よみもの・連載

信玄

第四章 万死一生(ばんしいっしょう)10

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 信方の隊に続き、甘利(あまり)虎泰(とらやす)の先陣隊も動いた。
 それらの動きはつぶさに晴信へ伝えられる。すかさず本隊と後詰を河岸まで進め、渡河が間延びしないように準備した。
 大屋に渡った信方は、すぐに跡部(あとべ)信秋(のぶあき)を呼ぶ。
「跡部、物見を頼む。できるだけ広範に、後方も警戒してくれ」
「承知いたしました。実は、駿河守(するがのかみ)殿……」
 跡部信秋が信方に耳打ちする。
「……勝手とは思いましたが、国分寺に蛇若(へびわか)という透破(すっぱ)の者どもを忍ばせておりまする。間もなく、探りました結果が届くかと」
「まことか!?」
「はい。特別な業を持った忍びの者どもゆえ、手抜かりはないと存じまする」
「さようか。わかり次第、すぐに伝えてくれ。それがしは甘利と神川の渡河について話し合っておくゆえ」
「わかりました」
 跡部信秋は小さく頭を下げた。
 この漢は桑原(くわばら)城を拠点に透破という忍びの集団を育て、着実に数を増やしている。その頭となったのが蛇若である。
 さらに透破だけでなく、敵陣に攻撃を加えて攪乱(かくらん)する乱破(らっぱ)や闇に紛れた荒事(あらごと)を専門とする突破(とっぱ)という集団を組織し、諜知(ちょうち)だけでなく戦における裏の仕事を担おうとしていた。
 それが跡部信秋の構想する武田三ッ者だった。
 信方は室住虎光と甘利虎泰を呼び、神川の渡河と国分寺への進軍について話し合う。
「間もなく物見の報告が届く。われらがここに留まれば、御屋形様の本隊が渡河できぬゆえ、迅速に動かねばなるまい。まずはいかようにして神川を越えるかだ」
「駿河守殿、このまま先陣を二手に分けて神川を渡るというのはいかがであろうか」
 甘利虎泰が地図を指しながら意見を続ける。
「駿河守殿の隊は千曲川沿いの旧道を進んでいただく。さすれば、南側から敵に横腹を狙われることはなくなりますゆえ、前方だけを警戒していただければよい。われらの隊は旧道よりも北側にある北国(ほっこく)街道を進み、蒼久保(あおくぼ)の辺りで神川を渡りますゆえ、その後で国分寺表にて合流ということでいかがか?」
「されど、それではそなたの隊が伏兵に狙われやすくなるのではないか」
 信方の危惧に、室住虎光が答える。
「われら三組の足軽隊のうち、一隊を駿河守殿にお預けしますので、大楯を先頭に神川をお渡りくだされ。儂(わし)は残りの二組を率い、備前守(びぜんのかみ)殿の渡河をお助けいたす。前方と北側に大楯を配すれば、敵の弓箭が狙うてきても大方の攻撃は防げるはず。その間に素早く騎馬隊が渡河してくださればよい。儂の足軽隊は神川の畔(ほとり)に残り、後詰の役を果たしまする」 
「なるほど、それならば最速での渡河が可能になるか」
 信方が腕組みをしながら頷いた。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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