よみもの・連載

信玄

第四章 万死一生(ばんしいっしょう)11

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

「ここは本隊に任せ、いっそ総社を先陣といたしまするか?」
 甘利虎泰の問いに、信方が眉をひそめる。
「それでは兵站(へいたん)が間延びするな」
「こたびの先陣は、これまでとまったく別のものと考えてはいかがか」
 室住虎光が口を開く。
「敵がのらりくらりとわれらの寄手を躱(かわ)すつもりならば、われらは遊軍として動けばよろしかろう。草刈りと同じ要領じゃ。騎馬隊と足軽隊が一組となり、敵がいるとわかった拠点をその都度潰していけばよい。城から出た敵兵の首はすべて刈る。それでどうじゃ」
「では、まず諜知(ちょうち)と物見を徹底せねばならぬな。その上で、先陣の兵がすぐに動けるよう隊の編制を変えておく必要がある。その辺りを評定で具申してみるか」
 信方の言葉に、三人は大きく頷いた。
「さて、そろそろ刻限だ。参るか」
 信方ら四人は僧寺の講堂へ向かう。
 教来石(きょうらいし)景政から重臣たちが揃ったという報告を受け、晴信も講堂に赴いた。
「さて、ここまでの運びは完璧であった」
 晴信は大上座から火鉢が並ぶ広間を眺め渡す。
「この後、どのように動くべきか、まずは先陣の意見を聞きたい」
「では、それがしから申し上げまする」
 信方は先ほどまとめた意見を具申する。
「……当面、われら先陣が警戒すべきは科野総社と考えますが、諜知の報告があり次第、どこへでも臨機応変に兵を出すつもりにござりまする。まずは野戦に出た敵の数を減らしていくことが先陣の役目と存じまする」
「板垣、先陣を押し出して総社を奪取するという考えはないのか?」
「……それも考えましたが、大屋から総社まででは、少々兵站が間延びし過ぎではないかと。できれば、先陣は砥石(といし)城に向け、北西に押し出すべきではないかと」
 その答えに、原虎胤(とらたね)が手を挙げ、発言を求める。
「されど、村上の本城はその総社の方角にあるのではないか。ならば、それがしの一隊がそこを奪い、北国街道からの敵に備えるというのはいかがか。それならば、先陣は心置きなく北西に押し出せるであろう」
「されど、鬼美濃(おにみの)。本陣の兵を間引くことになるぞ」
「駿河守殿、われらはここで敵を待つほど暢気(のんき)ではありませぬぞ。それに、もしも総社が手に余るようならば、焼き払って引き揚げるまでよ」
「おいおい、信濃の一宮(いちのみや)だぞ……」
「敵の出方を見てからというのは、どうも性分に合わぬ」
 原虎胤は憮然(ぶぜん)とした面持ちで言った。
「鬼美濃、逸(はや)るでない」
 晴信が窘(たしな)める。
「小県もわれらの領地となるのだ。さように手荒な真似をすれば、後で困るのは誰か。自明であろう。合戦は目先の戦いだけではなく、勝った後の仕置まで想定しておかねばならぬ。違うか?」
「……仰せの通りにござりまする」
 原虎胤が俯(うつむ)き加減で答えた。
「さりとて、この戦を長引かせるのも得策ではあるまい。幸いにも、われらはたった一日で敵地に大きな足場を築き、どうやら敵はわれらの動きを注視するつもりらしい。ならば、こちらも拙速に動く必要はあるまい。先陣の具申を採用し、まずは周辺の諜知を徹底し、敵の伏兵を炙(あぶ)り出す。何か動きがあれば、即応できるよう支度だけは怠らぬようにしてほしい。よいな」
「御意!」
「では、評定を終わる。皆、軆(からだ)を冷やさぬように。されど、酒はほどほどにな」
 晴信は笑顔で評定を締め、立ち上がった。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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