第四章 万死一生(ばんしいっしょう)11
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
「御屋形様、われらに科野総社を攻めさせていただけませぬか?」
「おい、鬼美濃。それはわれら先陣の役目ぞ」
信方が割って入った。
「かような嫌がらせは戦の常道であろう。いちいち目くじらを立てていたのでは、きりがあるまい」
晴信は冷静な口調で続ける。
「地の利が敵にあることは、最初からわかっていたことだ。その上で、こうした戦構えが最善と判断したのだ。問題は、この後の戦いを見据え、科野総社の奪取が必要か否かということにつきる」
「申し訳ござりませぬ、御屋形様」
信方が頭を下げる。
「……差出口が過ぎました。申し訳ござりませぬ」
原虎胤も神妙な面持ちで謝った。
「御屋形様、このまま敵方に科野総社を都合よく使われるのは癪(しゃく)に障りまする」
甘利虎泰が発言する。
「少々、兵站は伸びますが、たかだか半里(二`)のこと。われら先陣に押さえさせていただけませぬか。その上で、敵がいかように動くか、確かめてみてはいかがにござりまするか?」
「もしも、敵兵が入っていたならばどうする」
「その時は討ち取るまで。駿河守殿は尼寺に残っていただき、室住殿とそれがしの隊だけでも事足りると存じまするが」
「いや、甘利。それならば、わが隊も同行する。敵が移動しながら奇襲を狙うてくるならば、どちらかの隊が遊軍となって追えばよい」
信方の意見を聞き、晴信が口を開く。
「ならば、先陣を科野総社まで進めよう。相手の出方を見るには、ちょうどよい策かもしれぬ。いつならば、押し出せそうか?」
「本日の正午で結構にござりまする」
信方の答えに、甘利虎泰と室住虎光も同意する。
「右に同じく」
「さようか。ならば、支度にかかってくれ。鬼美濃、尼寺はそなたに預ける」
晴信の命に、原虎胤が髭面(ひげづら)で笑う。
「御意!」
「では、各々、抜かりなきよう頼む」
晴信は評定を締めた。
その日の正午、信方をはじめとする先陣の将兵たちは、半里ほど北西にある科野総社に向かう。
跡部信秋の諜知通り、そこに敵兵の姿はなく、先陣は小競り合いもなく建屋を奪取した。
――肩すかしを喰わされた気分を拭いされぬ……。
新たな先陣を眺めながら、信方は顔をしかめた。
「駿河守殿……」
甘利虎泰が歩み寄る。
「……社殿の隅々まで調べましたが、いくつか焚火の跡が残っているだけで、敵の姿はありませぬ。引き続き、豊後殿が周囲を調べておりまするが」
「やはり、敵は夜間に移動しているようだな。この近くにいくつかの拠点を隠し持っているのやもしれぬ」
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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