よみもの・連載

信玄

第四章 万死一生(ばんしいっしょう)11

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

「この近辺で、ひとつ気になる場所がありまする」
「甘利、それはどこのことだ?」
「ここから半里ほど西に尼ヶ淵(あまがふち)という高台があり、そこには小泉(こいずみ)という土豪の古い館があったと聞いておりまする。南側は千曲川(ちくまがわ)沿いの断崖に接し、北側の太郎山(たろうやま)を背にしているため、砦(とりで)として使うには最適の場所だと跡部が申しておりました。しかも、この尼ヶ淵と総社の間には上田宿(うえだしゅく)があるため、民が退避したあとの建屋に兵を潜ませることもできると」
「それは注意すべき場所だな」
「おそらく、小県にはわれらの知らぬ、そのような場所が散らばっているのだと思いまする。敵兵が転々とそれらの拠点を移動しているのやもしれませぬ」
「そういった意味では、われら先陣はまんまと誘(おび)き出されたのかもしれぬな」
「確かに敵側の立場で考えれば、われらと力任せに戦う必要はありませぬ。とにかく戦を長引かせるために、伏兵を使って威嚇や攪乱(かくらん)を続け、われらを苛立(いらだ)たせ、疲弊させるだけで充分と思うているはず」
「ここに入ってみてわかったが、周りを囲む塀もなく、国分寺と比べものにならぬぐらい防御がしにくい。長居をしたいという気はせぬ」
 信方は険しい表情で腕組みをした。
「ひと渡り見て廻ったが、この辺りには野良犬一匹おりませぬな。民も戦の飛び火を恐れ、退避しておるようじゃ」
 室住虎光が皮肉な笑みを浮かべながら歩いてくる。
「それにしても、ここは風通しが良すぎませぬか?」
「今し方、その話をしていたところだ」
 信方が苦笑交じりで答える。
「どうりで御二方とも浮かぬ顔をなされておるはずじゃ。鬼美濃が申した通り、いっそ焼いてしまった方がせいせいするのではないか」
「豊後殿!」
 二人が声を揃える。
「まあ戯言(ざれごと)はさておき、ここは四方から丸見えになっておるゆえ、それなりの備えをせねばなりませぬな。社殿と社務所を陣に使うとして、まとまった数の兵を四方に配さねばなるまい。交替を考えると、隊を四つに分ける必要もある」 
 室住虎光は冷静な意見を述べた。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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