よみもの・連載

信玄

第四章 万死一生(ばんしいっしょう)12

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

「われらが敵の姿を正確に把握するまで、敵は詭計に詭計を重ね、奇策に奇策を連ねる。ただし、夥(おびただ)しい奇策の中にも、必ず、いくつかは正攻を混ぜてくるであろう。詭計奇策に慣れて油断した相手には、その正攻がいつもの狼藉(ろうぜき)に見え、侮れば思わぬ打撃を受ける。敵はさような戦い方を考えているのではないか」
「仰せの通り、かと」
「伊賀守(いがのかみ)……」
 晴信はまっすぐに跡部信秋の両眼を見つめる。
「……そなたはなかなかに己の本音を明かさぬ漢(おとこ)だな」
「それも……仰せの通り、かと」
 跡部信秋は微(かす)かに俯(うつむ)きながら答える。
「されど、それがしの役目はみだりに本音を明かすことではなく、諜知(ちょうち)に基づく献策をすることにござりまする。それがしの本音などに、さしたる価値はありませぬ。その上で、具申させていただけるのならば、腰を据えてお話させていただきまする」
「ならば、そうしてもらおう。敵の詭道を見破るには、自らの詭道を案ずるしかない」
「承知いたしました」
 すっと背を伸ばし、跡部信秋は主君の顔を見つめる。
「それがしが考えますに、御屋形(おやかた)様が仰せの通り、この小県(ちいさがた)には敵が奇策に使える建屋が数多くありまする。それらはすべてを潰せるほど、少ない数ではありませぬ。例えば、この国分寺(こくぶんじ)のすぐ北側に古里(こさと)と呼ばれる地がありますが、そこだけでも篠井(ささい)、厳島(いつくしま)、廣野邊(こうのべ)などの神社があり、さらに山側へ登ると古くからの小城や砦と思(おぼ)しきものが点在しておりまする。これは国分寺周辺に限ったことではなく、先陣が奪った科野(しなの)総社の近辺にも尼ヶ淵(あまがふち)砦、小牧(こまき)城、洗馬(せば)城、荒(あら)城、連珠(れんじゅ)砦などの拠点があり、敵の潜伏を疑えばきりがありませぬ」
「やはり、すべては調べ尽くせぬか?」
「場所は把握しておりますが、伏兵の有無までを把握するならば、物見の者を常に張りつけなければなりませぬ。さすがに、そこまでは手が回らぬかと……」 
「ならば、そなたが目星を付けた場所に敵の動きがあった時、すぐに諜知の者を差し向けることはできるか?」
 それは晴信が投げかけた難題だった。 
「……できませぬ」
 跡部信秋は険しい面持ちで言葉を続ける。
「……とは、口が裂けても、申し上げたくありませぬ」
「さようか。そなたらが敵の尻尾を摑(つか)んでくれたならば、そこに兵を向けるつもりだ」
「されど、それでは……。それでは兵を細かく分散することになりませぬか?」
「そうだな。これが上策でないことは、重々承知している。だが、こちらから動かなければ、いつまでたっても戦が始まらぬ。それでは敵の思う壺(つぼ)。兵を分散して伏兵を追っても同じように敵の思う壺。どちらも同じような罠ならば、兵を留め置くよりも、いっそ敵の思惑に乗って動かした方が活路を見出しやすくならぬか。地の利は敵にあるのだ。愚策と思われようとも、それをひとつずつ潰していくしかなかろう」
「なるほど」
「姿の見えぬ敵に眼を凝らしているよりも、餌兵(じへい)と承知した上で矛を交える方が遥かに相手の本性を摑みやすいはずだ」
「わかりました……」
 跡部信秋は神妙な顔で答える。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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