よみもの・連載

信玄

第四章 万死一生(ばんしいっしょう)12

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 跡部信秋が放った透破(すっぱ)衆は尼ヶ淵の周辺に潜み、次々と報告を送ってくる。
 それによると、やはり敵方の伏兵が砦に潜み、その数はおよそ三百ほどだという。
 跡部信秋から話を聞いた信方は敢然と言い放つ。
「その程度の相手ならば、それがしが八百を率い、一気に蹴散らしてくれる」
「お待ちくだされ、駿河守(するがのかみ)殿。確かに、兵数は大したことがありませぬ。されど、報告を受けたところによれば、尼ヶ淵砦はそれなりに寄せ方が難しい地形となっておりまする。透破の如き軽身の者どもなれば容易(たやす)く近づくことができるとしても、足軽衆や騎兵が仕掛けるとなれば話が違ってまいりまする」
「……そうなのか」
「三百ほどの兵しか入れていないということは、寡兵で守れる地の利があるということにござりまする。実際、河岸段丘の周辺には複数の川や沼があり、それを防御に利用しているのではないかと」
「天然の要害ということか……」
「いま周辺に忍んでいる蛇若(へびわか)たちが戻りましたならば、砦の縄張りと周辺の地勢を大まかな図にしますゆえ、それをご覧になってから寄せる方法をお決めになってはいかがか」
「されど、その間に伏兵が姿を消してしまうのではないか」
「それならば、それでもよいではありませぬか。砦を奪った後に焼き払ってしまえばよろしい。二度と使えぬように」
「まあ、さような考え方もできるが……」
「急(せ)いては事をし損じる、とも申しまする。あと半日、それがしにお預けくだされ」
「わかった。そなたに任せる」
「有り難き仕合わせ」
 跡部信秋は満足げな面持ちで頭を下げた。
 信方は使番の香坂昌信を呼び、本陣への伝言を託す。
「ここから半里ほど西にある尼ヶ淵の砦に敵の伏兵がいる。伊賀守の諜知が終わり次第、おそらく数日中に伏兵を掃討する。それについてはすべて板垣にお任せいただきたいと御屋形様に伝えてくれ」
「承知いたしました。すぐにお伝えいたしまする」
 踵を返そうとした香坂昌信を、信方が呼び止める。
「昌信」
「……はい」
「尼ヶ淵砦を落としたならば、そなたも検分し、己の眼で見たことを御屋形様にお伝えせよ」
「畏(かしこ)まりました」
「では、頼んだぞ」
 信方は若い使番が走り去る様を見届けてから、社務所の室に入って軆(からだ)を休めた。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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