第四章 万死一生(ばんしいっしょう)12
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
夜が明け、陽が中天に上った頃、跡部信秋が約束の品を持ってくる。
「お待たせいたしました。これをご覧ぜよ」
濃墨で手書きされた地図を、信方と並んで甘利虎泰と室住虎光が覗(のぞ)き込む。
「尼ヶ淵砦は三本の川に囲まれており、南側は千曲川の分流と切り立った断崖となっておりまする。地の者たちの中には、これを天の渕と呼んでいる者もいるとか。この北側を蛭沢川(ひるさわがわ)が流れ、河岸段丘の形に添って西側に折れ曲がり、千曲川の分流と交わっておりまする。見ての通り、尼ヶ淵砦は南の断崖はもちろんのこと、北側からも寄せることが難しい地勢となっておりまする。さらに蛭沢川の外側に覆い被さるように同じ形状で矢出沢川(やでさわがわ)が流れており、これはちょうど砥石(といし)城のある北の山岳を発し、尼ヶ淵の西側で千曲川と合流しております。ここまではよろしかろうか?」
跡部信秋の説明に、信方が頷く。
「非常にわかりやすい。されど、三本の川に挟まれ、砦の周りにあるこの黒い塊は何であるか?」
「気づかれましたか。この塊は、大きな沼にござりまする。おそらく、矢出沢川と蛭沢川は千曲川の増水と相まって何度も氾濫(はんらん)を起こし、その周囲に大きな沼を残したのでありましょう。この中には川と繋(つな)がるものもあり、実に複雑な様相を呈しておりまする。しかも、段丘の高所以外は湿地となっており、騎馬での行軍などには向いておりませぬ。つまり、段丘の上に築かれた砦は、あたかも二重の大きな水堀で三方を囲むが如き備えになっており、これが寡兵でも守り易い要害たる所以(ゆえん)となっているかと」
「ならば、寄手は東からの一本道か?」
「はい。されど、東側には寄手が直進できないようにした食違い虎口(こぐち)が築かれ、いくつかの水堀が砦の曲輪(くるわ)へ近づくことを制限しておりまする。虎口へ向かうまでにも沼や川が行手を阻み、寄手は低地から段丘の上にある東虎口へ取り付かねばなりませぬゆえ、弓箭手(きゅうせんしゅ)の格好の的となりまする」
「迂闊(うかつ)に攻め込めば、予想以上の犠牲を出してしまうということか」
「さようにござりまする」
「うぅむ……」
信方は渋面で腕組みをする。
「……いかにも、われらの勇足(いさみあし)を誘うような伏兵だな」
「さように解していただけると、半日お待ちいただいたかいもありまする。そこで、われらからの策を具申しとうござりまする」
「いかような策か?」
「透破衆を囮(おとり)にした夜襲にござりまする」
「夜襲……」
「凡庸な策とは存じておりますが、寄手の無事を考えるならば弓箭手の狙いにくい夜襲が常道かと。ただし、兵が寄せる前に透破が騒ぎを起こし、注意を逸らせまする。実は砦の北側に妙なものを見つけました。何やら祠(ほこら)のようなものが祀(まつ)られており、その裏手で蛭沢川が最も細くなる場所に丸太の橋が架けられておりました。推察するに、それは砦の者たちがいざという時に逃げ出すための仕掛けではないかと」
「逆に、そこから透破の者たちが砦に忍び込むと?」
「さようにござりまする。敵方の意識は常に寄手が現れる東に向いており、北側に番兵がいたとしても手厚くはありますまい。荒事が得意な者たちを忍び込ませますゆえ、番兵を倒した後に砦の北と西の各所に火を放ち、敵を誘(おび)き寄せますので、それと同時に一気に東から寄せていただくという策にござりまする」
「なるほど。敵が退路とする北側から奇襲があったと思わせる策か。確かに、動揺するであろうな」
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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