よみもの・連載

信玄

第四章 万死一生(ばんしいっしょう)13

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

「ついに鬼美濃殿が痺れを切らしたようだ。われらも負けてはおられぬのう、備前守(びぜんのかみ)殿」
 室住虎光が甘利虎泰の肩を叩(たた)く。
「豊後(ぶんご)殿、互いの隊を二つに分け、騎兵と足軽の混成にいたしませぬか」
「なるほど、この先陣を攻守双方に即応できるよう編制し直すということか」
「さようにござる」
「ならば、備前守殿の隊は足軽頭として伝右衛門(でんえもん)をお連れくだされ。かの者は度胸も腕っ節も随一、騎馬の者どもにも遅れを取らぬほど脚も疾(はや)「い」
 室住虎光は腹心の初鹿野高利(たかとし)を甘利虎泰に預けると決めた。
 高利は先ほど使番として尼ヶ淵砦へ向かった初鹿野昌次の父である。
「かたじけなし。では、まず腹拵えをしましょうぞ」
 甘利虎泰は室住虎光と籠手(こて)を合わせ、打ち鳴らした。
 その頃、初鹿野昌次が尼ヶ淵砦に到着する。
 すると、信方が見慣れぬ姿の者たちと話している様が見えた。
 相手は鈴懸(すずかけ)という装束に身を包み、頭に黒い兜巾(ときん)を被り、錫杖(しゃくじょう)を手にしている。鈴懸は修験道の法衣であり、九布の上衣と八つ襞(ひだ)の袴(はかま)からなっており、修験僧たちはこれを着し、護摩太刀を佩(は)くのが常だった。
「火急の件にて、失礼いたしまする」
 素早く歩み寄った初鹿野昌次が片膝をつく。
「おお、弥五郎か。いかがいたした?」
 信方が視線を向けながら訊く。
 初鹿野昌次はこれまでの一部始終を報告する。
「やはり、怖れていたことが起きたか……」
 信方が宙を睨(にら)みながら呟く。
「……ならば、ここからは各陣の判断で動けという御屋形様からのお達しなのだな」
「はい、相違なく。各陣の皆様もそのように仰せになられておりました」
「さようか。ちょうど、こちらにも動きが見えたところだ。弥五郎、そなたもしばらくここで付き合え」
「あっ、はい……」
「こちらは伊賀守を通じてわれらに与力してくれた四阿山の修験僧、厳峻坊(げんしゅんぼう)殿だ。われらのために西側にある山を探ってくれている」
「行者の厳峻と申しまする。お見知りおきのほど、お願いいたしまする」
 厳峻坊が頭を下げる。
「初鹿野昌次と申しまする。こちらこそ、よろしくお願い申し上げまする」
「さて、厳峻坊殿。先ほどの話の続きを」 
 信方は四阿山の修験僧に話の再開を促した。
「わかりました」
 厳峻坊は頷(うなず)きながら言葉を続ける。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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