第四章 万死一生(ばんしいっしょう)13
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
「拙僧共が申し上げたきことは、この戦の目付についての事柄にござりまする」
「目付?」
「はい。東側からこの小県(ちいさがた)へ攻め入った軍勢は、難攻不落の砥石城に気を取られ、とかく北側の高所に眼が行きがちになりまする。もちろん、北側には砥石城だけでなく矢沢(やざわ)城や真田館をはじめとし、伊勢崎(いせざき)砦など優位な場所に拠点がありまする」
「矢沢城……。伊勢崎砦?……初めて聞いたぞ」
信方が微(かす)かに眉をひそめる。
「地の者ならば、皆、存じておりまする。近頃、武田家に真田殿が参じたと聞きましたが、そのことをお話しになりませんでしたか?」
「聞いておらぬな……」
「はて、それは摩訶(まか)不思議。砥石城が難攻不落である理由は、かの城の構えが独特なだけではなく、矢沢城や伊勢崎砦などと連係しているからにござりまする。さようなことを真田殿がわかっておらぬはずもなく、なにゆえ隠し立ていたしたのか……」
厳峻坊は顎をまさぐり、小首を傾(かし)げる。
『いかにも真田幸綱の行動は怪しげではありませぬか?』
そんな仕草だった。
――そういえば、この戦の直前に、真田は小県の特殊な地勢について話をしようとしていたな。もしかすると、北の山間にある拠点のことを伝えようとしていたのか?……いや、確か真田が申したのは地勢を利用して村上が戦を長びかせようとするということだった。拠点の詳細や連係については、おそらく話をしておらぬ。ここに攻め入ってから、己の手柄とするため、あえて黙っていたのか!?
信方の心中にも疑念の雲が湧き上がっていた。
「真田殿は何かの意図があって詳細な話を避けたのやもしれませぬ」
厳峻坊が信方を見つめながら言う。
「それゆえ、跡部殿がわれら四阿山の者どもに与力を願ったのではありませぬか」
「……そうかもしれぬな」
「ならば、われらはすべてを隠し立てなく、お伝えいたしましょう。直入に申せば、この戦の目付を北側に向けるのではなく、西側に向けるべき。なにゆえならば、敵の本隊は常に西からしか現れないからにござりまする。小県の守りの要は砥石城かもしれませぬが、敵が攻め手を見た場合には必ず西側の足場を使いまする。北の山側に板垣(いたがき)殿がご存じなかった拠点があるように、千曲川(ちくまがわ)の南と西にはそれに倍する拠点がありまする。それらの中には砦や古い城跡も含まれておりまするが、まったく使えぬというわけでもありませぬ。むしろ、村上方の手によって修復がなされている恐れの方が多く、そうとならば千曲川の南と西は敵が動き放題ということになりまする。もちろん、密かに大屋の南側へ廻り込むこともできないわけではありませぬ」
「まことか!?」
信方は驚愕(きょうがく)する。
「はい。時はかかりますが、国分寺表の対岸にある小牧山(こまきやま)の南山麓を廻り込んで依田川(よだがわ)を渡れば、諏訪への退路を塞ぐこともできまする。これに使える南西の経路は、いくつもありまする」
厳峻坊の話に、信方は眼を剥(む)く。
「村上はこの十二日間を静観していたのではなく、奇襲でわれらの眼を晦ませながら、密かに兵を動かしていたかもしれぬということか!?」
「そうした恐れがないともかぎりませぬ」
――この者の言が確かならば、こたびの戦を根本から見直さねばならぬではないか……。
信方が険しい面持ちとなる。
「ともあれ、ここまではまだ序の口のお話。われらが調べたところによりますれば、村上方が小牧山の南へ廻り込んだという形跡はござりませぬ。それよりも、ここから南西に位置します天白山(てんぱくさん)の周辺に怪しげな動きがありまする」
「天白山?……聞いたような名だが、いったい、どこのことか?」
「板垣殿、天白山ならば、この尼ヶ淵砦の物見櫓(ものみやぐら)から見ることができまする」
「そうなのか」
「はい。櫓の上でお話をいたしませぬか」
「ああ、構わぬが」
「では、行きましょう」
厳峻坊の誘いに従い、信方たちは南の崖淵にある物見櫓に登った。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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