よみもの・連載

信玄

第四章 万死一生(ばんしいっしょう)14

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 櫓(やぐら)から降りた信方は、すぐに天白山周辺の物見を命じた。 
 半刻(一時間)後、戻った斥候(うかみ)の兵が報告する。
「仰せの通り、天白山の麓に敵方の野戦陣を発見いたしました。ちょうど浦野川と産川が分岐する場所に柵(しがらみ)や逆茂木(さかもぎ)が並べられ、『丸に上の字』の旗幟(きし)が林立しておりました」
「野戦陣に村上の旗幟か……。敵の兵数は?」
 信方の問いに、斥候の兵が小さく首を横に振る。
「申し訳ござりませぬ。物見の場所からは、敵の兵数を確認することはできませなんだ」
「さようか」
「されど、陣の背後に社(やしろ)の如(ごと)き建屋があり、天白山の上へと繋(つな)がっているように見えました」
「それは弓立(ゆみたて)神社にござりまする」
 厳峻坊が説明を加える。
「その社の裏手から長い石段を登っていくと須々貴城に至りまする。野戦の陣が弓立神社の前に布(し)かれているのならば、それは間違いなく須々貴城と連係しておりまする」
「そなたの見立て通りか。ならば、少なくとも村上本隊の先陣ぐらいには考えておいた方がよいな」
 信方は難しい顔で腕組みをした。
 ――思いもよらぬ場所に野戦陣を構えているということは、北側の砥石城を中心とした兵と西側の村上本隊で、われらを挟撃しようという狙いなのか。あるいは、さらにわれらの知らぬ場所に兵を隠し、何か策を仕掛けようということなのか。今の場所にある野戦陣ならば、ただちにわれらの本陣に影響を与えるということは考えられぬ。されど、甘利(あまり)や豊後(ぶんご)殿が申していたように、科野(しなの)総社の向かいにある小牧山(こまきやま)の裏を使えば、本陣どころか、後詰の背後を取る事さえできるやもしれぬ。一見、不可解な陣立も、そうした動きをするためには絶好の場所にあるとも考えられる。村上義清(よしきよ)、思うていた以上に老獪(ろうかい)な策を持っているようだ。
 思案が目まぐるしく脳裡(のうり)を駆け巡る。
 ――いや、われらの兵をさらに分散させるため、野戦に誘っているとも考えられる。ここは野戦陣を叩(たた)くべきか、静観するべきかが、大きな判断の分かれ目となろう。各陣の将に采配が委ねられた以上、迂闊(うかつ)な真似はできぬ。されど、いたずらに判断を遅らせれば後手を引かされることになる……。
 さすがの信方も即断というわけにはいかなかった。
「弥五郎(やごろう)、これへ」
「はっ!」
 初鹿野(はじかの)昌次(まさつぐ)が素早く近寄り、片膝をつく。
「ここまでの状況は理解しているな」
「はっ!」
「新たに見つけた敵陣を地図にかき込んで甘利に届け、状況を説明せよ。その上で、われらの隊が野戦に打って出た場合、甘利の隊がわれらの背後に回れるかどうかを確かめてまいれ」
「畏(かしこ)まりました!」
「同様のことを御屋形(おやかた)様の本陣へお伝えする手配りも忘れるな。それがしはこれから戦(いくさ)支度を始める。忙しくなるぞ、よいか」
「はっ! では、失礼いたしまする!」
 初鹿野昌次は踵(きびす)を返し、愛駒のいる厩(うまや)へ向かった。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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