よみもの・連載

信玄

第四章 万死一生(ばんしいっしょう)16

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

「さような報告は一度も受けておらぬぞ!?」
「まことにござりまするか?……その連珠砦の中で村上の本城に一番近いのは太郎山の突端にある和合(わごう)城、そして、最も遠いのが東側の砥石(といし)城にござる。わざわざ天白山の須々貴城を使わずとも、和合城に兵を置けば、北国(ほっこく)街道を使うこともできまする」
 その時、真田幸綱の顔色が変わる。
「ま、まさか……。青木殿、いかようにして駿河守殿は天白山に敵陣があることをお知りになりましたのか?」
「伊賀守(いがのかみ)が諜知(ちょうち)の協力を願った四阿山(あずまやさん)の修験僧が探り出したと聞いているが」
「四阿山の修験僧?」
 幸綱の眉間が縦皺(たてじわ)を刻む。
「四阿山の修験僧ならば、村上に下った滋野一統(しげのいっとう)の配下になっていたはず。……まずいな。これは罠(わな)かもしれませぬ」
「罠とは?」
 驚きの表情で青木信立が訊く。
「われらの先陣をばらばらにし、千曲川の向こう側へ誘(おび)き出す罠にござりまする。もしも、天白山の敵兵が餌であるならば、村上の本隊は和合城にいるはず。先陣から天白山へ向かったのは、駿河守殿だけにござりまするか?」
「いや、それを後方から援護するために備前守(びぜんのかみ)殿も出撃しておる。科野(しなの)総社には室住(むろずみ)殿だけが残った」
「それぞれの兵数は?」
「各々一千、天白山へ向かったのは、合わせて二千であろう」
「それはますます危ない。村上が天白山に餌兵(じへい)を置き、連珠砦へ本隊の兵を忍ばせていれば、四、五千にも及びまする。それらが一気に集約され、どの隊かが狙われればひとたまりもありませぬ。たとえば、和合城からの兵が科野総社の先陣に向かった場合、駿河守殿や備前守殿の救援は間に合いませぬ。四、五千の村上本隊が攻め入れば、室住殿とて凌ぎきれぬかと。それは天白山と千曲川の中間におられる備前守殿とて同じで、背後から五倍の敵に襲いかかられたならば……」
「そ、その連珠砦とやらに、村上の本隊がいるのは確かなのか?」
「わかりませぬ。されど、それがしが村上義清(よしきよ)ならば、戦(いくさ)が長引くことを嫌うわれらの眼が砥石城や天白山の餌兵に向くように仕掛けをし、兵が分散したところを狙いまする。もしも、兵が分散しないのならば、のらりくらりと奇襲を繰り返し、まともに戦わなければよいだけのは話にござりまする」
「……確かに、そなたの申す通りだ」
「青木殿、それがしを本陣と先陣へ行かせていただけませぬか。たとえ、これが杞憂(きゆう)に終われば、それでもよし。いまは一刻も早く、この件を御屋形様に伝え、先陣の方々を科野総社へ戻さねばなりませぬ」
「されど……」
「迷うている暇はありませぬ。これから馬を飛ばし、本陣へ参りまする。間に合えばよいが……」
「わかった。そうとならば急いでくれ」
「承知!」
 幸綱は一礼し、愛駒のいる厩(うまや)へ向かった。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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