第四章 万死一生(ばんしいっしょう)16
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
――まったく、この身は何をやっているのだ。あの時、「新参者だから」などと物怖じをせず、もう少し詳細に小県での合戦の難しさを申し上げていれば、かようなことにはならなかったかもしれぬ。もしも、己が描いたような戦模様となり、自軍に犠牲が出たならば、それがしの責任は大きい……。
必死で手綱をしごきながら、真田幸綱は奥歯を嚙(か)みしめていた。
その時、同じように奥歯を噛みしめながら、信方(のぶかた)が産川の畔(ほとり)で踵(きびす)を返す。眦(まなじり)を決し、足早に仮陣とした観音寺(かんのんじ)へ戻った。
そこには板垣隊の副将を務める才間(さいま)信綱(のぶつな)をはじめとし、足軽を率いる横田(よこた)高松(たかとし)、若き騎馬武者の三科(みしな)形幸(なりゆき)、広瀬(ひろせ)景房(かげふさ)などの精鋭が並んでいた。
「これより川向こうの敵陣に攻め入る」
信方が険しい表情で一同を見廻(みまわ)す。
「幸いにも産川の水嵩(みずかさ)はさして高くない。騎馬でも一気に押し渡れるであろう。それゆえ、こたびは複雑な策は使わぬ。まずは、それがしが百騎を率い、敵陣の正面に立って囮(おとり)となる。もしも、敵が静観するならば、そのまま河を渡って攻め入る。敵が打って出たならば、川を挟んで戦う。その間に備中(びっちゅう)、そなたが敵陣の南側から廻り込み、陣中への道筋を切り開いてくれ」
信方は足軽大将の横田高松に命じる。
「承知いたしました」
「形幸、景房。そなたらも南側に廻り込み、足軽隊が道を開いたならば、一気に攻め込め」
命じられた三科形幸と広瀬景房が大きく頷(うなず)いた。
「御大将、敵陣の兵を制した後は、そのまま山側の神社や須々貴城へ攻め上ってもよろしかろうか?」
横田高松が信方に訊く。
「いや、まずは最前線の敵陣を完全に制する。山側へ攻め上るのは、ひと呼吸おいてからの方がよかろう」
「畏(かしこ)まりました」
「信綱。そなたには、わが背中を預ける。危ういと思うたならば援護を頼む。大丈夫そうだと見たならば兵力を温存してほしい」
信方は副将の才間信綱に言った。
「お任せくださりませ」
「策は以上だ。各々、敵の動きに対して機敏に動いてくれ。ここからこの戦の新たな局面を切り開くぞ」
「承知!」
一同が意気高く答える。
「では、散会!」
信方はそう告げ、立ち上がった。
そこに横田高松が歩み寄る。
「駿河守殿、われらは一足先に南側へ忍びまする」
「頼んだぞ。……備中、すまぬな」
「……と、申されますのは?」
「そなたは元々、甘利(あまり)の相備(あいぞなえ)ではないか。こたびはわが隊に加わってもらったが、まことは甘利の隊で戦いたかったのではないか?」
信方が言ったように、横田高松は甘利虎泰(とらやす)の隊で騎馬と対をなす足軽隊で相備の役割を担っていた。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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