第四章 万死一生(ばんしいっしょう)16
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
備前守である甘利虎泰と備中守である横田高松は武田家の中で「備前備中、最強の相備」と呼ばれている。
「いいえ。名にし負う剛の者、駿河守殿と一緒に戦える機会など滅多にあるものではありませぬ。虎泰殿には申し訳ないが、胸躍る役目にござりまする」
「さように思うてくれるか……」
「はい。光栄の極み」
「ここを制したならば、甘利とも合流できる。二隊一緒に城攻めだ」
「承知! では、失礼いたしまする」
横田高松が微(かす)かな笑みを浮かべて頭を下げた。
足軽隊が出立したことを見届けてから、信方は侍烏帽子(えぼし)を外して兜(かぶと)の緒を締める。床几(しょうぎ)から立ち上がり、大きく息を吐いて九尺(約二・七b)の槍を手にした。
愛駒の背に跨(また)がり、采配の代わりに槍を振る。
「いざ、参る!」
それを合図に、騎馬二百が一斉に動き出す。
「衝軛(こうやく)!」
信方が陣形を指示し、段違いになった二列縦隊で騎馬兵が走り出す。
そのまま産川の畔に向かって疾走した。
観音寺から産川沿いまでは六町(約六五〇b)ほどの距離しかなく、騎馬の速歩(はやあし)ならば、あっという間に到着することができた。
川縁の手前で、再び信方が号令を発する。
「鶴翼(かくよく)にて待機!」
二列縦隊の衝軛で走っていた騎馬が左右に分かれだし、鶴が翼を広げるような陣形に変化した。
その鶴翼の陣、最奥中央に大将が位置している。もしも、敵がそれを狙って攻めてきた場合、両翼を閉じるように騎馬兵が動き、包囲殲滅(せんめつ)するための陣形だった。
信方は兜の眼庇(まびさし)を少し持ち上げ、対岸の敵陣を見つめる。
しかし、柵の奥には目立った動きもなく、辺りは静寂に包まれていた。
――われらの姿が見えていながら、川縁までも兵を押し出してこぬか。ならば、渡河するだけだが、さて陣形をどうするか……。
そんなことを考えながらも、横田高松が率いる足軽隊との呼吸を推し量っていた。
――敵兵を誘い出すならば、このまま鶴翼にてゆっくり渡河するのがよかろう。相手が兵法の常道を知っていれば、われらの半渡河に乗じて動いてくるはずだ。
「者ども、このまま渡河を敢行するぞ。水嵩はないが、足許に気をつけ、慎重に進め!」
信方の命を聞き、両翼の騎馬が常歩(なみあし)で前進し始める。
一糸乱れぬ絶妙の動きだった。
すると、それを見ていたかのように、対岸の柵の奥で人影が蠢き出す。長柄槍を手にした足軽が柵の両脇から次々と現れ、横一列に並ぶ。
その数、およそ二百。信方は素早く目算した。
長柄槍を構えた足軽が川縁に並び、騎馬隊を待ち受ける。
――岸に上がる寸前を狙い、槍衾で押し戻すつもりか。あまりにも凡庸な策だ。
信方が薄く笑う。
「止まれ!」
意外にも、渡河の半ばで停止の命令を出した。
騎馬隊も止まり、両軍の兵が睨み合う。
鶴翼の最奥中央から、信方の一騎だけが前方へ進み出る。
「雑兵ども! 命が惜しければ、そこをどけ! われこそが武田先陣大将、板垣駿河守、源信方なり!」
その大音声を聞き、両軍に緊張が走った。
それに構わず、信方は最前列まで駒を進める。
「頭がいるならば、前に出よ! 特別に勝負してくれようぞ!」
槍先を突き出し、ゆっくりと右から左へ動かす。
しかし、敵の足軽は息を詰め、動こうとしない。
「おらぬか……。やはり、雑兵の集まりか」
さらに愛駒を前に進める。
敵の足軽が身を低くし、槍を構え直す。
「ならば、相手をするまでもない。退くぞ!」
信方は急激に手綱を引き、馬首を返す。
愛駒が嘶き、軽く竿立(さおだ)ちになりながら馬体を反転させた。
そのまま速歩で元の川縁に戻り始めた。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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