第四章 万死一生(ばんしいっしょう)17
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
――さて、ひと呼吸入れたならば、逃げる敵兵の追撃だ。
ふっと息を吐き、愛駒の腹を軽く蹴る。
発進の合図だった。
事態に気づき始めた敵の足軽が慌てて川を渡って陣へ戻ろうとする。
信方を始めとした騎馬隊が襲歩(しゅうほ)でそれを追い、逃げる敵兵に槍を見舞う。
その戦いぶりは、獅子奮迅(ししふんじん)などという形容とまったく正反対であり、ほとんど狩でもするように次々と敵方の足軽を仕留めていく。繰り出される槍は、ことごとく敵の急所に向けて突き出され、ほぼ一撃で相手を仕留めていた。
その頃、南から敵陣に廻り込んだ横田(よこた)高松(たかとし)の足軽隊が逆茂木(さかもぎ)を取り除き、馬防柵を倒して騎馬隊のために道を開く。
三科(みしな)形幸(かたゆき)と広瀬(ひろせ)景房(かげふさ)を先頭に、騎馬の別働隊が敵陣へなだれ込む。
「われらも続け! 一人残らず、敵を討ち取るぞ!」
横田高松が足軽隊に命じた。
陣中に大した敵兵は残っておらず、機先を制した武田勢が敵を圧倒する。
奇襲に気づいた敵は、戦いを放棄して天白山(てんぱくさん)に向かって逃げ始めた。
「深追いはしなくてもよいぞ! この陣を固め、産川側の囲いを解け!」
横田高松の命で足軽たちが陣内に散り、産川側に立てられていた馬防柵を取り除いた。
信方の追撃を受けた敵の足軽も同様で、天白山の方角に向かって形振(なりふ)り構わず逃げていく。それでも二百はいた敵足軽のほとんどを討ち取っていた。
「信綱、敵兵の首級(しるし)をあげ、陣中に運んでくれ」
信方が副将に命じる。
「お任せくだされ」
才間信綱と長槍足軽たちが屍から首級を集め始めた。
信方と騎馬隊は悠々と産川を渡り、横田高松の出迎えを受けながら奪った敵陣に入る。
「備中(びっちゅう)、被害は?」
「ありませぬ」
微(かす)かな笑みを浮かべた横田高松が答える。
「こちらもだ。上首尾であったな」
「はい」
「この戦(いくさ)で初めて、まとまった数の敵を討ち取った。まずは御屋形(おやかた)様と甘利(あまり)に知らせを出そう。その後で首実検だ」
首実検とは、討ち取った首が敵のものかどうか、大将自ら検分することである。
「景房、そなたが本陣へ報告せよ」
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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