よみもの・連載

信玄

第四章 万死一生(ばんしいっしょう)17

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 答えながら、幸綱が深く頭を下げる。
「……御屋形様、申し訳ござりませぬ。それがしがもっと早くお知らせいたしておれば……。新参の身ゆえ、差出口(さしいでぐち)になるのでは、と気後れいたしまして……」
「いや、長窪(ながくぼ)城で、そなたから詳しく話を聞かなかった余が悪い。とにかく、連珠砦とやらの全容を図に認(したた)めてくれぬか」
「はい、すぐに」
「紙と矢立は、そこにある」
 晴信は文机(ふづくえ)を示した。
 そこに跡部(あとべ)信秋(のぶあき)が駆け込んでくる。
「御屋形様、失礼いたしまする」
「伊賀守(いがのかみ)、いかがいたした」
「駿河守殿が上田原の敵陣へ出張ったと聞きましたが」
「さようだ。板垣だけでなく、甘利もだ」
「その際に四阿山(あずまやさん)の修験僧が同行したと聞き及びましたが、何という名の者にござりまするか?」
「確か、厳峻坊(げんしゅんぼう)ではなかったか」
「厳峻?……覚えがありませぬ」
「板垣からは、そなたの命を受けて先陣を訪ねて来た行者だと報告を受けたが」
「確かに、それがしは四阿山の修験僧に諜知(ちょうち)の手伝いを頼みましたが、先陣へ行けとは申しておりませぬ。あくまでも、われらの手伝いをと」
 跡部信秋が眉の両端を吊り上げる。
「まことか!?……いったい、どういうことだ」
 晴信が立ち上がった。
「四阿山の修験僧は村上に降(くだ)っておりましたゆえ、われらは時をかけて信用できる者を懐柔いたしました。されど、用心にこしたことはないため、表だった協力はさせておりませぬ。こちらの動きが筒抜けになる恐れもありますゆえ」
 鬼面になった信秋が叫ぶ。
「もしかすると、敵の間者やもしれませぬ! すぐ駿河守殿にお伝えし、その者らを捕らえなければ!」
「伊賀守、板垣たちには科野総社に戻るよう伝えるため、使番を出した」
「ならば、それを追い、われらが四阿山の修験僧とやらを捕まえ、詮議いたしまする」
「わかった」
「では、失礼いたしまする」

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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