よみもの・連載

信玄

第四章 万死一生(ばんしいっしょう)18

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

「……河内守(かわちのかみ)殿」
 広瀬景房が驚愕(きょうがく)しながら眼を見開く。
「備中(びっちゅう)殿、これはいったい……」
 三科形幸が鬼の形相で振り向く。
「これだけではない。覚悟して、ついてこい」
 横田高松は二人の騎馬武者を信方の屍があるところまで導いた。
「お、御大将……」
 三科形幸は見覚えのある小具足姿の屍の傍らで膝をつく。
 広瀬景房は絶句したまま軆を強ばらせていた。
 信じ難い光景だけが眼前にあった。
「……備中殿……いったい何が」
 三科形幸が声を振り絞る。 
「おそらく……おそらくだが、われらに随行した修験僧どもが敵の間者であり、首実検に乗じて駿河守殿を仕物に掛けた。それを見つけた信綱殿と斬り合いになり、相討(あいうち)となったのであろう。修験僧どもは四人いたゆえ、残りの二人は敵に合図を送り、駿河守殿の御首級(みしるし)をここから持ち去った。……この現場を見る限り、そうとしか思えぬ」
 横田高松の答えに、形幸は思わず両手をつきながら呻(うめ)く。
「……そ、そんな」
「そなたらに、どうしてもやってもらいたいことがある。ここから駿河守殿と信綱殿の御遺体を運び出してほしい。されど、まだ他の者には討死のことを知らせるわけにはいかない。ゆえに、そなたら二人だけで御遺体を運んでくれぬか」
「い、いかようにして?」
「そなたらが御遺体を背負い、ここから密(ひそ)かに馬で出た後、そのまま本陣へ向かえ。とにかく、まずは御屋形様にお伝えせねばならぬ」
「備中殿は?」
「おそらく敵の反撃があるはずだ。備前守(びぜんのかみ)殿にこのことを伝え、敵を迎え撃ちながら退陣を行う。できれば、駿河守殿の御首級を奪い返したいところだが、できるかどうかもわからぬ。とにかく、急いでくれ」
「では、ここに駒を引いてまいりまする」
 三科形幸が眦(まなじり)を決して立ち上がる。
「傷口に巻く晒(さらし)、それに縄と母衣(ほろ)もだ。御遺体をそなたらの背に括(くく)り付けた後、母衣で覆う」

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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