第四章 万死一生(ばんしいっしょう)18
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
先頭をひた走る甘利虎泰は、愛駒の速度を襲歩に上げて敵陣へ突入しようとする。
その脳裡(のうり)で、寸刻前の小山田行村の言葉と、今しがた敵将が吐いた暴言が重なる。
――おそらく、駿河守殿に不測の事態が起こったのであろう。備中は士気の低下を恐れ、それを隠したのだ。あの首袋が本物ならば、安中とやらを倒し、駿河守殿の御首級を取り返すだけのことよ!
胸の裡(うち)には激情が渦巻いていたが、なぜか頭の奥はしんと醒めている。
虎泰の愛駒は主(あるじ)の心情に寄り添い、疾風と化す。
必然的に敵の兵は、その一騎駆けに群がろうと動く。
「どけ! 小者ども!」
虎泰は勢いに任せて敵の足軽を蹴散らし、恐るべき疾さで槍を突きかける。見事な連突きだった。
眼前の光景がまるで時を引き延ばしたように見え、敵兵はほとんど止まっているように感じられる。
甘利虎泰は一騎駆けをも辞さない猛将だけが辿(たど)りつける境地に入っていた。
それでも、騎馬の前に立ち塞がろうとする敵兵から闇雲に槍が突き出される。
切先の乱舞。眼前で凶暴な刃が乱れ飛び、腕や背に激痛が走る。それをものともせず、ほぼ一撃で敵を倒し、愛駒の勢いを殺(そ)がれまいと必死で手綱をしごく。
さらに後方から駆け付ける騎馬武者たちが残りの敵兵を倒し、敵陣を大きく切り裂いていく。左右の鶴翼が閉じる前に、敵の先陣大将がいる中央最奥に届かんとしていた。
――なんだ、あ奴の兵は!?……たかだか五百ほどのくせに。
安中一藤太は甘利隊の破壊力に肝を冷やしていた。
さらに村上の先陣にとって思いもしなかった事が起こる。
戦いの響動(どよ)めきを聞きつけた小山田行村と初鹿野高利の足軽隊が、観音寺へ向かわずにこの戦場へやって来たのである。
「備前守殿の隊が敵陣に突撃を敢行しておりまする!」
先頭を走っていた小山田行村が叫ぶ。
「よし、援護するぞ! われらも突撃だ! 騎馬隊を追っている敵の背を突け!」
初鹿野高利の命令に、足軽隊が走り出す。
そして、鬨の声を上げながら、閉じかけた両翼の敵足軽隊に襲いかかった。
甘利虎泰は安中一藤太を眼の前にしながら、その気配を背中で感じ取っていた。
もしも、この時、観音寺にいた一千の兵が戦いに加わっていたならば、武田勢は完全な優位を築き上げていたかもしれない。
しかし、観音寺で防備を固めていた横田高松は北側での騒ぎに物見を出すに留(とど)まった。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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