よみもの・連載

信玄

第四章 万死一生(ばんしいっしょう)18

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 戦場に「もしも」はない。
 瞬きの間に入れ替わる勝敗と、幸運と不運の交差がそこにあるだけだ。
 甘利虎泰の鬼神ぶりに、さすがの村上勢も竦み、寄手(よせて)が止まる。
 ――見えた! 逃げるなよ、村上の先陣大将!
 まさに指呼の間。
 安中一藤太も馬上で槍を構える。その周りを騎馬武者たちが守るように取り囲んだ。
「雑魚(ざこ)の捌(さば)きはまかせたぞ!」
 虎泰の叫びに、愛駒までが意地を張るように進路を変えず、真正面から挑んでいく。
 その背後には十数騎の甘利隊が続いていた。
 虎泰は眼前に立ちはだかった一騎を一閃(いっせん)で仕留める。
 それから、ほんの五寸ほど左に愛駒を振り、安中一藤太の喉元を目がけて正確無比な槍を繰り出す。
 同じように横へ馬を振りながら、安中一藤太は相手の繰り出した切先を何とか槍穂で弾く。
 やはり、速度に乗った攻撃を仕掛けた甘利虎泰が有利だった。
 疾風の一合を交わした両者はすれ違い、素早い手綱捌きで馬首を返そうとする。互いの愛駒は甲高い嘶(いなな)きを上げながら半身を捻(ひね)り、向きを変えようとした。
 いち早く方向を転換した方が必ず有利となる。
 この反転は、止まっていた安中一藤太の方が早かった。馬を寄せ、素早い連撃を繰り出す。
 上下に突き分ける相手の攻撃を、甘利虎泰が槍の太刀打ちに絡めながら捌いてみせる。
 互いの駒は主の呼吸に合わせて小刻みに脚を動かし、今にも嚙みつかんばかりに相手の顔を睨(にら)みつけた。
 二人は数合を打ち合い、馬を下げて間合を取る。
 ――さすがに、先陣大将を名乗るだけあって並の者ではないか。
 甘利虎泰が口唇の端で小さく笑う。
 ――されど、このままでは互いの援護が交じり、乱戦になってしまう。その前に、仕留めを狙うか。多少の無理は覚悟で決着をつけてやる。
 実際の打合いを経て、安中一藤太も相手が相当の手練(てだれ)であることを感じていた。
 ――この者、怖ろしく強い。わが槍の付け入る隙が見つからぬ……。
 己の驚愕を悟られぬよう、安中一藤太はわざと鷹揚(おうよう)な構えを取る。
 二人は巴(ともえ)の形に愛駒を廻しながら、相手の気勢と動作に全神経を集中していた。
 もちろん、先にその集中が途切れれば負けは必至だった。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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