よみもの・連載

信玄

第四章 万死一生(ばんしいっしょう)19

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

「おそらく、わが父は討死覚悟で敵を足止めしておりまする。どうか、その意をお汲み取りいただけますよう、お願い申し上げまする」
 初鹿野昌次はつとめて冷静な口調で言う。
「伝右衛門殿がさように申したか……。わかった。すぐにここから退こう。備前守殿の手当を済ませ、小荷駄車に乗せよ! 荷は捨て置け!」
 鬼面になった横田高松が配下の者たちに命じる。
「昌次、そなた、科野総社へ行けるか?」
「向かいまする」
「室住(むろずみ)殿にこの状況を伝え、本陣へ退くよう伝えてくれ。それが終わったならば、そなたも本陣へ向かえ。御屋形様にも退陣(のきじん)を進言してくれ。そなたにだけは申しておくが、駿河守殿と才間(さいま)信綱(のぶつな)殿が討死なされた」
「ま、まことにござりまするか!?」
「形幸(なりゆき)と景房(かげふさ)が御遺骸を運んでいる最中だ。これだけ先陣に被害が出れば、次は御屋形様の本陣が危ない。室住殿の一隊は無事に本隊と合流させねばならぬ。すぐに向かってくれ」
「承知いたしました」
「備前守殿は必ずわれらが大屋へお連れする」
「お願いいたしまする。では、失礼!」
 初鹿野昌次は一礼し、愛駒のもとへ走る。
 それから北側の戦場(いくさば)を避け、室住虎光(とらみつ)が守る科野総社へと向かった。
 同じ頃、南へ大きく迂回しながら本陣を目指していた三科(みしな)形幸と広瀬(ひろせ)景房が中之条(なかのじょう)へ差しかかる。
 才間信綱の遺体を背負った広瀬景房が馬上で叫ぶ。
「形幸殿、ちょっとよいか」
「なんだ、景房」
 信方の遺体を背負った三科形幸が聞き返す。
「横田備中殿はまっすぐ本陣へ行けと申されたが、このことを科野総社におられる室住豊後守(ぶんごのかみ)殿に伝えなくて、まことによいのであろうか」
「最短で本陣へ向かうのが、われらの役目だ」
「されど、豊後守殿はこの状況を知らぬのではないか」
「……それはそうだが」
「これは先陣大将の討死ではありませぬか」

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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