第四章 万死一生(ばんしいっしょう)19
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
初鹿野昌次が観音寺周辺の状況を報告する。
それを聞いた跡部信秋の顔から血の気が引いていく。
「駿河守殿と信綱殿だけでなく、あの屈強な備前守殿までが……。いったい、何が起こったというのだ」
「無念にござりまする。わが父、初鹿野高利の足軽隊が敵を足止めしておりますが、さほど長くは保たぬかと……。急ぎ、室住豊後守殿と本陣の御屋形様にお伝えいたさねばなりませぬ」
初鹿野昌次は動揺を隠すために、わざと気丈に振る舞っていた。
「横田殿は備前守殿を守りながら大屋へ向かったのだな?」
跡部信秋の問いに、昌次が頷く。
「さようか。ならば、ぐずぐずしてはおられぬ。三科と景房は、このまま本陣へ向かえ。蛇若と手の者を護衛につけるゆえ、敵が現れても捨て置き、御屋形様のもとへ急げ。昌次、そなたはそれがしと一緒に科野総社へ向かうのだ。これより後は、寸刻も無駄にするな!」
「はっ!」
三人の使番は短く答える。
的確な指示を出した跡部信秋はすぐに馬首を返す。
――信じ難いことだが、先陣の両巨頭を失ったのならば、この戦はすでに敗勢やもしれぬ。とにかく散らばった味方を御屋形様のもとへ集め、防御の態勢を取らねばならぬ。
できる限りの速度で、科野総社を目指した。
だが、その背後に夥しい蹄音が迫る。
村上義清の本隊はすでに初鹿野高利の足軽隊を潰滅させ、総勢五千にも及ぶ軍勢で科野総社に向かっていた。
保福寺道を真っ直ぐ東へ進み、最短で科野総社に到着した跡部信秋は室住虎光に状況を伝え、強く退陣を勧める。
「敵はすでに総攻めの態勢を取っておりまする。豊後殿、とにかく今は、兵をまとめねばなりませぬ」
「わかっている。されど、われらがここを退けば、敵は一気に本陣まで押し寄せるぞ。ここで食い止めた方がよいのではないか」
「さような状況ではない、かと。われらはすでに先陣の将と兵の大半を失っておりまする。しかも、本陣の兵も細かく散らばっており、それらをひとつにせねば、太刀打ちできませぬ」
「先陣の将を討ち取られていながら、一矢(いっし)も報いずに退けと申すか、伊賀守」
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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