よみもの・連載

信玄

第四章 万死一生(ばんしいっしょう)20

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 そして、この日の正午過ぎ、本陣から出発する。小荷駄隊の護衛には、真田幸綱が急遽(きゅうきょ)預けられた五百の足軽隊を率いてあたった。
 陽が沈む夕刻前には無事に長和(ながわ)の長窪(ながくぼ)城へ到着し、そこで一泊する。翌朝早くに城を出て正午前に大門(だいもん)峠を越え、半日を費やして諏訪の上原(うえはら)城へ到着した。
「典厩様、御足労にござりまする」
 諏訪の守将を任された駒井(こまい)政武(まさたけ)が迎えに出る。
「高白(こうはく)殿、家臣たちの亡骸を運んできました。討死した者すべてではありませぬが、できうる限りの遺骸を集めました。すぐに供養の手配りを」
「はい。あのぅ、典厩様……」
「何であろうか」
「……懼(おそ)れながら、お訊ねいたしますが、そのぉ……亡骸の中に……駿河守殿は?」
 駒井政武は躊躇(ためら)いがちに訊く。
「ありまする。もちろん、甘利の亡骸も」
「……さようにござりまするか。……お労(いたわ)しや。無念で、なりませぬ」
 政武は眼を閉じ、両手を合わせた。
 そこに、もう一人の守将である今井(いまい)信甫(のぶすけ)も駆けつける。
「典厩様、何と申してよいやら言葉がありませぬ。小県から早馬が着くたびに、ただただ肝を焼いておりました」
「……不覚にござりました。されど、今は悲嘆にくれている時ではありませぬ。できることだけを考え、諏訪上社(かみしゃ)での供養を急ぎとうござりまする」
 信繁の言葉に、今井信甫は小首を傾(かし)げる。
「すぐに甲斐へ運ぶのではなく、上社で神葬祭(しんそうさい)を行う、ということにござりまするか?」
 信甫が言ったように、神事に則(のっと)り故人を弔うことを神葬祭という。
 神道では、人が亡くなると祖先の御霊(みたま)とともに家を守る神になると考えられている。そのため、葬礼であっても「祭」という言葉が用いられた。祭はすなわち魂を「祀(まつ)る」ことを意味している。
「こたびの帰幽(きゆう)の筆頭は、諏訪郡代であった板垣駿河守信方殿ゆえ、まずは上社で神葬祭を行うのが筋と考えておりまする」
 信繁が言った帰幽とは、神道において人が亡くなることを意味していた。
「加えて、こたび討死した者たちの武威を讃(たた)え、軍神(いくさがみ)であらせらせる建御名方神(たけみなかたのかみ)様の御霊舎(みたまや)に入れてやりとうござりまする。その後、遷霊祭(せんれいさい)を行い、御霊を霊璽(れいじ)に遷(かえ)してから甲斐へ運ぶのがよいかと」
 遷霊祭とは御霊移しとも呼ばれ、帰幽した者の魂を依代(よりしろ)となる霊璽へと移す儀式である。霊璽はいわば神道における位牌(いはい)のことだった。
「なるほど、そういうことにござりまするか。それは御屋形様の御指示にござりまするか?」
 今井信甫の問いに、信繁は首を横に振る。
「まだ、それがしの考えに過ぎませぬ」
 その返答に、駒井政武と今井信甫が驚いたように顔を見合わせた。
「されど、確固たる理由はありますゆえ、後ほど詳しくお話しいたしまする」
 信繁の意を汲(く)み、駒井政武が答える。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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