よみもの・連載

信玄

第四章 万死一生(ばんしいっしょう)20

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 翌日、二人の使者が到着する。
 出迎えを済ましてから、加藤信邦がすぐ取次に走った。
「御屋形様、失礼いたしまする。信邦にござりまする」
「……加藤か。いかがいたした?」
「ただいま府中より大井の御方様の使者が到着いたしました。どうか、お目通りをお願いしたいと」
「母上からの使者だと?……誰がまいった?」
「野村筑前守(のむらちくぜんのかみ)殿と春降出雲守(はるふるいずものかみ)殿にござりまする」
 大井の方は最古参の家臣二人を使者に立てていた。
「……加藤。何用か、聞いておるか?」
「大井の御方様からの御書状をお渡しし、御口上をお伝えしたいと」
 しばらくの沈黙があってから、晴信の返答が聞こえてくる。
「ひとまず、書状だけを受け取ってまいれ」
「畏(かしこ)まりましてござりまする」
 加藤信邦は書状を受け取りに走る。それを三方に載せ、御座処の戸の前に置いた。
「御屋形様、御書状はこちらに置いておきまする。では、失礼いたしまする」
 余計な言葉を省き、加藤信邦はその場を去った。
 しばらくしてから、晴信が三方を取りに出る。
 御座処に戻ると、文机(ふづくえ)に向かい、 母からの書状を開いた。   
 そこには晴信を案じる大井の方の気持ちと、甲斐で待つ者たちの不安が切々と綴(つづ)られていた。
 さらに、信方をはじめとする家臣たちの討死を慮(おもんぱか)り、なるべく早く諏訪上社で神葬祭と遷霊祭を行い、甲斐で待つ身内の者たちのところへ御霊を遷してやってほしいと書かれている。
 特に、信方についてはどれほど特別な家臣であったかということが語られ、大井の方自らが手厚く供養したいとも認(したた)められていた。
『もしも、そなたが戦にて諏訪へ戻られぬということであれば、この身が名代となりて諏訪へまいり、帰幽した家臣たちの御霊を甲斐へ遷してやりとうござりまする』
 最後の一文からは、片意地を張り続ける晴信に対する怒りさえ滲(にじ)み出ていた。
 それを読み、晴信は愕然(がくぜん)とする。
 そして、大きく心を揺さぶられていた。
 ――確かに、母上にとって板垣は、この身以上に大事な家臣であったに違いない……。
 こみ上げる気持ちを抑えながら眼を閉じ、大きく息を吸う。
 それから、細く長く、ゆっくりと吐き出した。
 この息吹を繰り返し、己の心を落ち着かせた。
 ――まったく無様、この上なし。片意地を張るほど、面目次第もなくなる。……余は、こたびの戦に負けた。それを潔く認めよう。
 書状を丁寧に折り畳み、晴信は文机から立ち上がる。諫諍(かんそう)を受け入れ、ほんの少しだけ迷妄の霧が晴れ、胸のざわつきが収まった。
 晴信が身支度を調え、御座処を出ると、傅(かしず)いた加藤信邦が待っていた。
「……御屋形様」
「使者に目通りする。信繁も呼んでくれ」
「畏まりました」
 加藤信邦の顰面(しかみづら)にわずかな希望が浮かぶ。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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