よみもの・連載

信玄

第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

「承知いたしました。まずはわれらが調べました小笠原の軍容について述べますが、総大将の小笠原長時の軍勢二千余の他には、先陣を受け持って下諏訪に攻め込んだ仁科盛能の軍勢約一千、長時の糾合で集まった三村(みむら)長親(ながちか)と山家(やまべ)昌治(まさはる)の軍勢がそれぞれ一千弱ではないかと。総勢で五千ほどではありますが、将の顔ぶれを見れば、いかにも急拵(きゅうごしら)えの寄せ集めといった感が拭えませぬ。にも拘(かか)わらず、下諏訪が占拠された理由は、またぞろあの矢嶋満清ら諏訪西方衆が寝返ったからにござりまする。実際、緒戦では諏訪下社の地下人(じけにん)たちが迎撃し、小笠原の兵を百以上を討ち取ったと。されど、寝返りのせいで戦況が覆り、仁科盛能が下社を抑え、三村と山家が岡谷に陣を布(し)いておりまする」
「伊賀守、小笠原長時も下社に陣取っているのか?」
 晴信が訊く。
「いいえ、長時は最初の反撃で手傷を負うたようで、岡谷のさらに後方、勝弦(かっつる)峠あるいは塩尻(しおじり)峠の辺りまで本隊を下げたようにござりまする」
「ならば、上諏訪を狙うているのは、仁科、三村、山家の率いる三千余と見立てればよいのだな」
「おそらくは。されど、御屋形様。どうも、いきり立っているのは、仁科盛能だけのようにござりまする。この者は安曇郡の国人(こくじん)にござりますが、以前、長時の父親である小笠原長棟(ながむね)に敗北して諏訪家を頼っておりまする。その後、われらが諏訪を奪取しましたゆえ、安曇に戻って娘を長時に嫁がせ、舅(しゅうと)となって小笠原と復縁しておりまする。されど、諏訪家に寄寓(きぐう)していた頃がよほど恋しいらしく、こたびは先陣大将として諏訪を制すると、一人で気炎を上げているようにござりまする」
「なるほど。皆も敵の軍容はだいたいわかったであろう。ここからは各々の考えを聞きたい。まずは真田、そなたから頼む」
「承知いたしました。それがしが申し上げたいのは、伊賀守殿が報告なされた事柄に加え、この戦(いくさ)の裏にいる敵、村上義清をどう見るかということにござりまする」
「ほう、眼前の小笠原を睨(にら)みつつも、横目では村上義清の動向も捉えておけということか」
 晴信が身を乗り出す。
「仰せの通りにござりまする。巷間(こうかん)では、小笠原と村上が過去の遺恨を乗り越えて盟約を結んだなどと、まことしやかに囁(ささや)かれておりまするが、果たしてそうなのでありましょうか。誰が流している風聞やらわからず、とうてい真に受けることはできませぬ。問題は、われらが小笠原と一戦交えた時、村上勢が小県から援軍に駆け付けるかどうかということにござりまする。それがしの見立てを申すならば、村上義清は簡単に諏訪へ援軍を出すほど律義な漢(おとこ)ではありませぬ」

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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