よみもの・連載

信玄

第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 真田幸綱の話を、原虎胤はさも愉快そうな顔で聞いている。
「次なる小笠原の目的が、上原(うえはら)城の攻略と諏訪上社の占拠だと考えるならば、村上義清はいくつかの詐略を用意しているのではないかと推しまする。されど、間違いないのは、われらと小笠原勢が上諏訪で戦いを始めるまで、かの者が絶対に動かぬということでありましょう。必ずや、静観いたしまする」
「必ず静観、とな。それは、なにゆえか?」
「はい。あの者の狡猾(こうかつ)さは並のものではありませぬ。もしも、われらが難なく小笠原を蹴散らしたならば、村上は何事もなかったかの如(ごと)き素振りで、こたびのことをやり過ごすでありましょう。あるいは、ほうほうの躰(てい)で本拠に戻った小笠原を尻目に、平気で松本平へ攻め入るやもしれませぬ。されど、戦いが一進一退で長引いた場合、逆に佐久へ攻め入るのではありませぬか。常に、人の裏を搔(か)きたがる性分ゆえ。また、万が一にも、われらが劣勢に立たされることがあったならば、その時こそ村上義清は諏訪へ援軍を送りまする。自軍にほとんど犠牲を出さぬような援兵で、戦の後に諏訪での分け前を要求する、さような漢にござりまする。また、われらが諏訪を奪われたならば、すかさず佐久へも兵を向けるでありましょう。さような曲者(くせもの)がこの戦を裏から眺めているとお考えくださりませ」
 真田幸綱は真剣な面持ちで語りきった。
 そこに突然、拍手が鳴り響く。
 手を叩(たた)いていたのは、原虎胤だった。
「面白い! 真田、やはり、そなたの話は独特だな。それに加え、どれほど村上義清を忌み嫌うておるか、存分に伝わってきたぞ。あの喰わせ者を省いて、こたびの戦は考えられぬということか。なるほどな。御屋形様、真田の言を借りるならば、われらが難なく小笠原を蹴散らすというのが上策のようにござりまする」
 そう言ってから、高笑いする。
 若衆たちは驚いたようにその様を見つめていた。
 それでも、原虎胤の軽妙な差配で評定の場が少し和んだ。
 今度は信繁がそれを引き取る。
「しかれども、小笠原の将を各個撃破していくというのは、あまりにも愚直すぎまする。真っ向から戦うよりも、何か詐略を仕掛けた方がよくはありませぬか」
「調略、もしくは奇襲のような策か?」
 晴信が聞き返した。
「さようにござりまする。前(さき)の戦は少々まともに戦いすぎました。敵がわれらの弱味につけこんでくるならば、意趣を返してやればいいと存じまする。真田殿が申した通り、われらが相手にしているのは、狡猾な曲者にござりますれば」
「信繁様の申された通りかもしれませぬ」

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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