よみもの・連載

信玄

第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

「さよう。別名、枝垂栗(しだれくり)とも呼ばれている。ここには曲がりくねった奇怪な形の栗樹が群生しておる。栗のくせに枝垂ているため、古(いにしえ)より『天狗が枝の上を飛び交ったために曲がった』と伝えられ、地の者ですら近づこうとはせぬ。夜ならば、なおさらな」
 室住虎光が説明したように、小野の天狗森は奇形変種の枝垂栗が生い茂る地だった。
 大小さまざまに枝垂れた栗樹が八百本ほど群生し、純林を形成している。
「この天狗森から勝弦峠までは、北東に一里(四㌔)ほどだ。しかも岡谷から下諏訪を睥睨(へいげい)している軍勢からすれば、天狗森は完全な背後になる。これほど隠れ場所に適した場所もあるまい」
「そこに潜み、一気に奇襲をかけると」
「その通りじゃ。相手が塩尻峠にいても同じようなことをやれたであろうが、勝弦峠ならば、まさに好都合だ」
「豊後殿は評定で奇襲の策を具申した時から、この経路を思い浮かべておられましたのか?」
 真田幸綱が驚いたように訊ねる。
「まあ、そういうことだ。経路と日数については、御屋形様にもお伝えしてある」
 室住虎光は不敵な笑みを浮かべた。
 そこに野太い声が響いてくる。
「邪魔いたすぞ」
 現れたのは、原虎胤だった。
 その後ろには飯富虎昌もいた。
「おうおう、いかにも悪巧みが似合いそうな面ばかり集まっておるの、豊後殿」
 原虎胤が高笑いする。
「悪党面ならば、そなたには敵(かな)わぬわ、鬼美濃」
「まあまあ、誉め言葉として受け取ってくれい。ところで豊後殿。われらは何をすればよい?」
 虎胤の直入な問いに、老将がにやりと笑う。
「せっかちな漢だ。まあ、よかろう。これから策の確認をするゆえ、ここに座りなされ。兵部もな」
 室住虎光に促され、二人の先陣大将が地図の前に座った。
 奇襲の詳細を聞いた原虎胤が唸(うな)る。
「なるほど。手が込んだ奇襲であるな。これならば、まことに小笠原長時の首が飛ぶやもしれぬな」
「御屋形様には十八日の朝に出立をお願いし、そのまま悠々と夕刻前に上原城に入っていただくことにした」

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

Back number