第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
これが天文十七年(一五四八)六月十五日から十七日の夜更け過ぎにかけての出来事だった。
明けて十八日の早朝、大井ヶ森から晴信が上諏訪の上原城に向かって本隊を発進させる。
――できるだけ目立つように、できるだけゆっくりと行軍せよか。
馬上の晴信は緋縅(ひおどし)の大鎧(おおよろい)を身に纏(まと)い、金銀装の美太刀(びたち)を佩(は)いている。大兜(おおかぶと)にはもちろん獅嚙(しかみ)の前立(まえだて)をつけ、白熊をたらしていた。
ひときわ眼を引く美装である。
その本隊の先頭には、先陣大将である原虎胤と飯富虎昌が轡(くつわ)を並べていた。
――この歩みの遅さならば、敵の間者にはさぞかしわれらが臆しているように見えるであろうて。まったく、御屋形様を囮に使うとは、豊後殿もとんだ喰わせ者よ。
原虎胤が小さく苦笑を漏らす。
その横顔を見て、飯富虎昌が訊く。
「……鬼美濃殿、いかがなされましたか?」
「何がだ、兵部」
「いえ、いま笑うたように見えましたもので」
「笑うておったか。まずいな、もっと怯えた振りをせねば。兵部、そなたも臆した振りをして軆(からだ)を竦(すく)めぬか。偉そうに反り返りよって」
「はぁ……」
飯富虎昌が戸惑いながら首を竦め、猫背になる。
「それでよし。ずいぶんと弱そうに見えるぞ」
そう言いながら、原虎胤が必死で笑いを嚙み殺した。
晴信の本隊は正午過ぎに信濃境を越え、陽が傾きかけた頃、上原城へ着く。その間、敵に目立った動きはなく、武田勢の動きを確かめているような気配だった。
先陣の騎馬隊も城内に入ったが、決して軍装は解かなかった。
そして、陽が沈むと室住虎光、横田高松、真田幸綱らの足軽奇襲隊が冨士浅間神社から北東の天狗森へと向かう。
山間(やまあい)の岨道を進み、一刻半(三時間)をかけて天狗森へ入った。
そこには奇妙な姿の枝垂栗が群生し、不気味な静けさに包まれていた。
「聞きしに勝る奇景にござりまするな」
横田高松が感心しながら言う。
「まさに鴉(からす)天狗どもの住処(すみか)よ。まあ、今宵はわれらが小笠原にとっての天狗だがな」
室住虎光が薄く笑う。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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