第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
「過分な御言葉、ありがとうござりまする。ご期待に添えるよう精一杯、務めさせていただきまする」
「余には嫡男がおらぬ。いずれは、そなたを養子に迎え、上杉の名跡を嗣いでもらいたいとも思うておる。楽しみにしているぞ」
上杉定実がそこまで長尾景虎に期待しているのには訳があった。
享禄(きょうろく)三年(一五三〇)一月二十一日、景虎は長尾為景(ためかげ)の末子として誕生した。
長尾家は関東管領(かんれい)の上杉家麾下(きか)で越後の守護代を務める名家である。
そして、誕生の年が庚寅(かのえとら)にあたり、母の名が虎御前(とらごぜん)ということにちなみ、幼名を長尾虎千代(とらちよ)と名付けられる。虎のように強い男子武士(おのこもののふ)となるよう願いを込めて命名された。
しかし、齢七となった年に、虎千代は長尾家の菩提寺(ぼだいじ)、林泉寺(りんせんじ)へ入れられる。無用な家督争いを避けるために、嫡男以外を寺に入れるのは、乱世における武門の倣(なら)いとなっていた。
仏門に入れば、幼少の頃から厳しく躾(しつ)けられ、しっかりと行儀を身につけることができる。それに加え、家督をもらえぬ子でも、菩提寺を嗣(つ)げば食いはぐれることはなかった。
齢十を越えてから禅の修行を始め、師は天室(てんしつ)光育(こういく)といい、林泉寺の第七世住職だった。
ところが、天室光育はこの童(わらわ)に四書五経(ししょごきょう)や武経七書(ぶけいしちしょ)なども修学させる。作務(さむ)の代わりに兵法の修学や乗馬の稽古をさせ、漢詩や和歌などの教養も授けていた。もちろん、坐禅専心(ざぜんせんしん)の修行は、最も厳しく叩き込む。
この禅師が驚くべき情熱で虎千代の薫育(くんいく)に取り組んだのは、幼いながらも、どこか超然としたところのある長尾家の末子に、君子としての天与を見出(みいだ)していたからかもしれない。
預かった当初から「いつか、この童は俗象(ぞくしょう)へと戻り、武門の道を歩むのであろう」と思っていた。
それは天室光育の漠然とした予感ではなく、越後と長尾家を取り巻く情勢を注視していれば、自ずと推測できることであった。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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