第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
四十五
やはり、小県は余にとっての鬼門なのか……。
暗澹(あんたん)たる面持ちの晴信が、上原城の殿主閣で歯嚙みする。
――兵数は遥(はる)かに勝っていたはずなのに、あの砥石(といし)城を落とせぬとは……。またしても魔に魅入られたような心地だ。
再び二年前の悪夢が甦(よみがえ)っていた。
痛恨の敗北を喫した上田原の一戦である。
天文十九年(一五五〇)八月、晴信は満を持して七千の兵を送り、小県の砥石城を急襲したが、またしても村上義清に阻まれてしまった。
――しかも、また大事な重臣を失うてしまった……。
晴信は眉をひそめながら、事ここに至るまでを回想し始める。
二年前の敗戦は確かに武田家を大きく揺るがしたが、その年の秋に諏訪へ攻め込んだ小笠原長時を撃退したことで、立ち直りの契機を摑んだ。
翌年からは村上方と佐久や小諸(こもろ)での城の取り合いになったが、大きな戦には発展していない。
そして、この年の六月、駿府(すんぷ)から悲報が届く。
晴信の姉で今川(いまがわ)義元(よしもと)に嫁いだ定恵院(じょうけいいん)が病没してしまったのである。享年三十二歳の若さだった。
これにより甲斐の府中は沈鬱な空気に包まれた。
定恵院は義元の嫡男である今川龍王丸(りゅうおうまる/※後の氏真〈うじざね〉)と二人の娘を産んでおり、ある意味、武田と今川の盟約を象徴する存在だったからである。
晴信は駒井政武を呼び、名代(みょうだい)として駿府へ行くことを命じる。
「弔問が済んだならば、治部大輔(じぶのたいふ)殿に目通りを願い、かように伝えてくれ。姉上の不幸により両家の縁を途絶えさせることなく、末永く誼(よしみ)を通じたい。ついては、わが嫡男の太郎(たろう)と治部大輔殿の娘御の縁組をお願いしたい、と」
晴信は諏訪から方々を睨んで動けなかったため、名代として駒井政武を派遣し、甲駿同盟を維持するために嫡男の武田太郎と今川義元の娘との新たな縁組を申し入れた。
義元はこれを快く受け入れ、太郎が元服を済ませた後、定恵院との間にもうけた長女の於松(おまつ/嶺松院〈れいしょういん〉)を嫁がせると決めた。
両家の惣領が、弔事の悲しみを長びかせず、素早く慶事へと転換するために打った一手だった。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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