よみもの・連載

信玄

第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

「鬼美濃、どうしてもか?」
「何がなんでも、にござりまする」
「わかった。余も出陣するゆえ、先陣の後詰はそなたに任せる」
「有り難き仕合わせにござりまする」
 原虎胤は嬉しそうに頭を下げた。
 晴信は使番の飯富昌景(まさかげ/源四郎〈げんしろう〉)に命じ、真田幸綱を呼ぶ。
「真田、こたび急遽、砥石城へ攻め入ることになった」
「まことにござりまするか!?」
「ついては、そなたに頼みたいことがある」
「何なりと」
「いま村上義清が北信濃の高梨政頼と善光寺平で戦を構えているらしい。その隙に、村上の傘下にいる者を何とか調略できぬか」
「幾人か、心当たりがありますゆえ、当たってみまする」
 真田幸綱は密命を受け、わずかな手下だけを連れ、すぐに坂木へ向かった。
 その三日後、八月五日に晴信は長坂(ながさか)虎房(とらふさ/後の釣閑斎〈ちょうかんさい〉光堅〈こうけん〉)に一千の兵を与え、先遣隊として送り出す。小県までの途上にある和田城に敵の兵が入ったという情報がもたらされたからである。
 長坂虎房は板垣信方亡き後、諏訪郡代輔翼に任命されるほど晴信の信頼が厚かった。
 和田峠を越えた先遣隊は、麓にある和田城をまっすぐ目指す。だが、敵兵は一戦も交えず、城から逃亡した。どうやら、斥候程度の数しか兵が入っていなかったようだ。
 長坂虎房が本隊進軍のための露払いを終えたあと、諏訪の上原城を出立した晴信は、十九日に長和(ながわ)の長窪(ながくぼ)城へ入る。
 室住虎定、横田高松の先陣足軽隊と、後詰を担う原虎胤、大井(おおい)信常(のぶつね)の騎馬隊が先発し、二十五日に千曲川(ちくまがわ)を越え、大屋(おおや)から砥石城に物見を放った。
 その二日後には信玄の本隊が長窪城を進発し、大屋の東に位置する海野(うんの)宿へ着陣する。先陣足軽隊は砥石城の喉元ともいえる伊勢山(いせやま)に陣を布き、原虎胤と大井信常の騎馬隊が古里(こさと)で敵襲に備えた。
 それを受け、晴信は砥石城に近い屋降(やふり)の地に本陣を構え、翌二十九日の正午に信繁らの旗本衆を率いて自ら敵城の際まで物見に出る。敵方の籠城を確かめると、晴信が戦の開始を告げる矢入れの儀を行い、ついに砥石城攻めの火蓋が切られる。
 晴信が本陣に戻ると、真田幸綱から朗報が届いていた。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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