よみもの・連載

信玄

第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

    四十六

 砥石崩れから半年が過ぎた天文二十年(一五五一)四月半ば過ぎ、真田幸綱が甲斐府中の躑躅ヶ崎館に向かっていた。
 晴信に面会し、ある事柄を直訴するためだった。
 館に着くと、奥近習の三枝(さいぐさ)宗四郎(むねしろう/昌貞〈まささだ〉)が待っており、書院へと案内する。
「御屋形様、真田弾正忠(だんじょうのじょう)殿がお見えになりました」
「入ってくれ」
 晴信の返答を聞き、三枝宗四郎が音も立てずに襖戸(ふすまど)を引く。
「失礼いたしまする」
 真田幸綱が室へ入ると、再び音も立てずに襖戸が閉められた。
「真田、本日はいかがした?」
「御屋形様にお願いがあってまいりました」
「何であるか」
「懼(おそ)れながら、それがしにしばし暇(いとま)をいただけませぬか」
 幸綱は両手をついて頭を下げる。
 その様を、晴信はじっと見つめていた。
 それから、おもむろに口を開く。
「いっこうに小県を奪(と)れぬ余に見切りをつけたか?」
「……め、滅相もござりませぬ。さようなことは決してありませぬ」
「これはあながち戯言(ざれごと)でもない。余の自嘲だ。この二月にも家臣に暇を出しているからな。主があまりにも不甲斐なければ、下の者は従いたくなくなるのであろう。それが寄親寄子(よりおやよりこ)の定めでもある」
 晴信は二ヶ月前にある家臣を重職から外し、甲斐の長禅寺(ちょうぜんじ)に蟄居(ちっきょ)させている。
 こともあろうに、その家臣というのが信方の嫡男、板垣信憲(のぶのり)であった。
 信憲は父が上田原で討死してから家督を継ぎ、諏訪郡代に任命される。父の同心、被官二百余騎をそのまま受け継ぎ、晴信は期待をこめて武田家の最高職の「両職(筆頭家老)」をめざすように諭した。
 しかし、そのかいもなく信憲は仮病で出陣を怠って遊芸に耽(ふけ)ったり、一部の同心や被官を依怙贔屓(えこひいき)し、諫める者を粗末に扱った。しかも、酒癖が悪く、酔うと「父の討死は晴信のせいだ」と陰口をばらまいていた。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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