よみもの・連載

信玄

第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 晴信はこの智将の重い覚悟を見て取る。
 それに加え、幸綱の類い稀な調略の手腕を高く評価していた。
 ――この者がこれだけ申すのであれば、何か成算があるに違いない。
 そう考え、快く暇乞いを許す。
「わかった。期限はあえて切らぬ。そなたが使いたいだけ時を使うがよい」
「有り難き仕合わせにござりまする」
 真田幸綱が平伏する。
 主君の前を辞してから、すぐに府中を出立し、諏訪へ向かう。そこで一泊し、小県へ向かった。
 帯刀もせず、貧しい浪人にしか見えない粗末な着物を身に纏い、真田幸綱は大門峠を越えて海野宿へ入った。
 ここ数ヶ月の間、書状を送り、面会を申し入れてきた相手に会うためだった。
 ――砥石城攻略の糸口は、たったひとつしかない。あの者を落とせねば、砥石城も絶対に落とせぬ。そして、この身が死ぬだけだ。
 海野宿から北側の山を登っていくと、一里半(約六㌔)ほど先に小さな山城が見えてくる。
 それが矢沢(やざわ)城であり、隣接して陣屋もあった。
 そして、そこの主が、滋野一統の縁者である矢沢頼綱(よりつな)だった。
「御免! 頼もう」
 陣屋の門前で、真田幸綱が声をかける。
 すると雑掌(ざっしょう)らしき者が出てきて、粗末な格好の来訪者に訝(いぶか)しげな視線を向けた。
「本日、矢沢薩摩守(さつまのかみ)殿とご面会の約束があり、お伺いいたしました」
 腰の低い幸綱を見て、雑掌は無愛想な返事をする。
「あちらへ入りなせえ。ご主人がお待ちだに」
 離れと思(おぼ)しき建屋を示した。
 幸綱は礼を言い、離れまで行く。
「失礼いたしまする」
 外から声をかけてなかへ入った。
 その姿を見て、矢沢頼綱が息を呑む。
「……どうなされた、その、みぐさい格好は?」
 みぐさいとは、この辺りの方言で「見苦しい」という意味だった。
「今は主君に暇を出された身空ゆえ、むさ苦しい姿で申し訳ない」
「しかも、まことに一人で参られたのか、兄者?」
 矢沢頼綱は眼を見開く。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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