第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
幸綱は粗末な着物の胸元を両手で開く。
その胴には純白の晒(さらし)が巻かれており、そこに忍ばせていた小刀を取り出す。
「そなたが話を断るならば、これでわが喉を突けばよい。村上に注進などと、まどろこしいことをする必要はあるまい。それがしは観念するゆえ、そなたがここで真田幸綱を仕留め、調略しにきた敵を成敗したとして、首級を差し出せばよいだけだ。さすれば、村上義清の信頼もさらに増すであろう」
「……正気で申しているのか、兄者」
「この兄を招き入れた以上、そなたの選択は、すでに二つにひとつだ。好きな方を選んでくれ、頼綱。覚悟はできている」
真田幸綱は小刀を頼綱の膝前まで差し出し、両手を腿に当ててから静かに眼を閉じる。
その様と小刀を見較べ、矢沢頼綱は小さな溜息をつく。
――兄者は、昔からこうだ。相手に有無を言わせぬようなことを平気で申す人誑(ひとたら)しだ。だから、海野平の一戦の後、この身は兄者に相談なく村上に降った。そうせねば、兄者に止められ、城と郎党を守れそうになかったからだ。
頼綱は眦(まなじり)を決し、小刀を手にした。
「兄者、もうひとつ、聞かせてくれ」
その声で、幸綱が静かに眼を開ける。
「この身が武田家に仕えるためには、何か手宮笥(てみやげ)が必要なのではないか?」
「そうかもしれぬな」
「それが、砥石城か?」
「ああ、その通りだ」
幸綱は何の外連(けれん)もなく、すんなりと応えた。
「……そういうことか」
頼綱が細い息を吐く。
――兄者はまことに一命を賭して、ここへ訪ねてきたのであろう。昔から心の底は読めぬ人であったが、決して嘘はつかなかった。この身が話を断ったならば、おそらく死を厭(いと)わぬであろう……。
「して、兄者。もしも、武田が砥石城を得たならば、確実に村上を小県から追い出せるのか?」
「それだけでは足りぬ。村上義清は埴科からも追い出す」
「ほ、本気で申しているのか!?」
「本気だ。砥石城さえ足場にできれば、武田家は必ず村上を駆逐できる。小県を熟知した、われら滋野一統の者がいればな」
「はぁ……」
再び溜息をついてから、頼綱が兄の顔を見つめる。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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