第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)2
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
ただの力押しとは違い、初手で己の懐深くまで入られた感触があったからである。村上義清の戦い方とは、まったく様相が違っていた。
信濃から越後へ逃げた者は多く、敵は地勢も充分に知った上で、晴信の裏を搔しこうとているような気がする。
翌日の夜明けとともに、晴信は本隊を率いて苅谷原城を出立する。
苅谷原城から保福寺道を東に進むと、八里(約三十二`)ほどで塩田城へ到達できる。途中、保福寺峠という難所を越えなければならないが、早朝に出発すれば、陽が沈む前には着けるはずだった。
塩田城へ入った晴信は、砥石城と笹洞城に早馬を飛ばし、指示を与えた。
一方、会田城に敵兵がいないことを確かめた飯富昌景は、北東の岩殿山(いわどのさん)を越え、笹洞城を目指す。そして、入れ替わるように、馬場信房が深志城から苅谷原城へ向かった。
その間、越後勢は晴信の出方を窺うように大きな動きを見せない。
そして、九月十三日の夜更け過ぎ、夜陰に紛れて砥石城を出た真田幸綱の軍勢一千余が、千曲川沿いを北上し、荒砥城を急襲する。
同時に、笹洞城から打って出た飯富虎昌の軍勢二千が、北西の修那羅山を抜け、荒砥城と青柳城の間に割って入る。青柳城にいた越後勢の退路を塞ぎ、本隊と合流できないように攻めるためだった。
こうした動きの報告を受け、晴信も三千の本隊を率いて荒砥城へ向かう。
真田勢が荒砥城下にいた越後勢に夜討をかけ、同じ頃、飯富虎昌の軍勢二千が東側から青柳城へ攻めかかる。
思わぬ方角から武田勢に反撃され、驚いた越後勢はいったん青柳城から退き、大きく北西へ迂回しながら逃げた。
急襲された荒砥城の越後勢本隊も、さらに武田勢本隊の第二波があると考え、城を捨てて素早く撤退し始める。追撃をかわしながら屋代城を経由し、再び布施まで戻った。
荒砥城を奪還した晴信は、そこに真田幸綱を入れ、越後勢の動向を窺う。青柳城にはそのまま飯富虎昌が入った。
晴信の本隊も塩田城に戻り、応戦の構えを取る。
越後勢は挑発するように坂木南条(なんじょう)を野焼きしたが、晴信は静観したまま動かなかった。
それから数日が過ぎ、晴信が動かないことを察知した越後勢は、九月二十日に川中島から越後へと帰還する。
晴信は透破の諜知により、そのことを摑(つか)んでいたが、念のために十月七日まで塩田城に留(とど)まった。
その間、この奇妙な戦のことを考え続けていた。
――まことに、越後勢を率いていたのは、長尾景虎であったのか?
疑問は、その一点につきる。
晴信がこの一戦を「奇妙だ」と感じたのも無理はなかった。
越後勢は信じ難い疾さで埴科と筑摩まで攻め込み、その後は晴信の出方を確かめるように動きを止めている。まるで、相手の実力を試すような戦い方だった。
城を奪って我物(わがもの)とするわけでもなく、そんな合戦に利はない。兵法の常道からも外れている。考えれば考えるほど、腑(ふ)に落ちないことばかりだった。
己ならば、絶対にしない戦い方。まるで、弄(もてあそ)ばれ、嘲笑だけを聞かされたような気分になっていた。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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