よみもの・連載

信玄

第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)3

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 義元の言葉を合図とし、太原雪斎と三浦正俊が素早く動き、晴信と北条氏康の前に置かれた折敷(おしき)の上の盃に御神酒(おみき)を注ぐ。
「それでは、三家の末永い繁栄と、こたびの盟約の存続を祈念して」
 両手で盃を掲げた義元が唱導し、三人が揃って三度盃を干した。
 今川義元が盃を置き、満面に笑みを湛(たた)える
「盟約の儀は、滞りなく済みました。ここからは膝を崩してくつろぎ、車座で語り合いましょうぞ。供の方々にも御酒を」
 主君の言葉に従い、太原雪斎と三浦正俊が他家の供に酒を注いで廻る。
 信繁(のぶしげ)と飯富(おぶ)虎昌(とらまさ)も車座の中に入り、晴信の両脇に侍(はべ)った。
「ところで左京大夫殿、甥子(おいご)の梅千代王丸(うめちようおうまる)殿も御元服の儀が間近に迫っておるのでは?」
 今川義元がさりげなく北条氏康に訊く。
「さようにござる。京の公方(くぼう)様に烏帽子親(えぼしおや)となっていただけるよう、お願い申し上げておりまする」
 何気ない会話のように聞こえるが、これは今後の坂東(ばんどう)情勢を占う最も重要な事柄だった。
 足利(あしかが)梅千代王丸の父は古河(こが)公方の足利晴氏(はるうじ)、母は北条氏綱の娘であり、氏康の妹、芳春院(ほうしゅんいん)であった。
 古河公方の晴氏は、父親の足利高基(たかもと)の代から敵対していた叔父、小弓(おゆみ)公方を自称する足利義明(よしあき)を討つため、北条氏綱と同盟している。そして、天文(てんぶん)七年(一五三八)に国府台(こうのだい)の合戦で足利義明を倒した後、氏綱の娘を娶(めと)り、北条家と親戚になった。
 しかし、北条氏康が跡を嗣(つ)ぐと、古河公方との関係が急激に悪化する。その末に起きたのが、河越(かわごえ)城の夜戦だった。
 晴氏は関東管領職(かんれいしき)の山内上杉(やまのうちうえすぎ)憲政(のりまさ)や扇谷上杉(おうぎがやつうえすぎ)朝定(ともさだ)と野合したが、河越城で大敗を喫し、坂東の頂点に立つ公方としての権威と力を失ってしまった。
 だが、北条氏康は一方的に盟約を破棄した晴氏の命を助ける。代わりに、それまで正室を持つ慣例がなかった古河公方家において、妹の芳春院を正室として認めるよう申し入れた。
 その時、晴氏は公方府を古河城から、芳春院と梅千代王丸が暮らす北条家の支城、葛西(かさい)城へ移すことにも同意した。
 これにより梅千代王丸は足利晴氏の跡を嗣ぐ嫡男となり、間もなく元服の儀を迎えることになっていた。
「梅千代王丸殿が元服なさるならば、晴氏殿は御隠居なされ、のんびりと過ごすがよかろうて」

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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