第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)3
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
今川義元が笑みを含んで言う。
「舅(しゅうと)殿はまだまだお元気ゆえ、肩の荷を下ろされるのはいつになることやら」
北条氏康が苦笑しながら答える。
――関東管領職の山内上杉憲政が上野(こうずけ)を追われた今、梅千代王丸殿が元服して古河公方になれば、血縁も含めて北条家が執事を務めるということになる。いや、鎌倉幕府を支えた執権北条家になぞらえ、氏康殿が関東管領に成り代わって坂東の実権を握るという筋書きなのであろう。ならば、上杉憲政が頼った長尾(ながお)景虎(かげとら)と北条家も、早晩、上野で対決することになる。
晴信はそこまでの将来を思い描きながら、二人の会話を聞いていた。
「時に、大膳殿。そなたのご嫡男も京の義輝(よしてる)様から偏諱(へんき)をいただいたのではなかったか?」
今川義元が訊く。
「ええ、昨年末に公方様から足利公方家の通字である『義』の偏諱をいただき、義信(よしのぶ)と改名いたしました」
「それは目出度い。されど、その時に義輝様から上洛(じょうらく)を望まれたのではあるまいか?」
義元の問いに、晴信は一瞬だけ逡巡(しゅんじゅん)する。
正直に答えるべきかどうか迷ったのである。
「……はい。御内書をいただき、上洛して三好(みよし)長慶(ながよし)の僭越(せんえつ)を糺(ただ)してほしいと望まれました」
「で、あろうな。余にも御内書が届き、上洛を促された。三好のせいで、義輝様は未だ朽木谷(くつきだに)から都へ戻れぬらしい。嘆かわしきことよ」
義元が言ったように、昨年、足利義輝は三好長慶に京を追われ、近江(おうみ)の朽木元綱(もとつな)を頼って朽木谷へ逃れ、今はこの地を御座所としていた。
三好長慶が阿波(あわ)から足利義維(よしつな)を上洛させ、新しい公方として擁立しようと画策したからである。この京の都を巡る騒動が諸国の争乱にも拍車をかけていた。
義輝は従三位(じゅさんみ)に昇叙した際、義藤(よしふじ)から名を改め、三好長慶と対決するために六角(ろっかく)義賢(よしかた)らをはじめとする有力な守護大名に上洛を促す御内書を送っていた。
当然のことながら、源氏(げんじ)の名門である今川家や武田家にもそれが届いている。
「おお、梅千代王丸殿が義輝様から偏諱をいただくということは、左京大夫殿にも上洛を誘う御内書が届いておるのでは?」
「いただいておりますが、坂東には片付けねばならぬ所用が山ほど残っており、当分は上洛など夢のまた夢」
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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