よみもの・連載

信玄

第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)3

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 真田幸綱が言った俗別当とは、僧侶ではなく俗人の身分のままで寺の統轄を務める者のことである。
 それでも別当職として寺院の座主や管主に匹敵する権限を持ち、門前町を拠り所とする者たちも束ねる存在だった。
「それだけではなく、善光寺平の一帯には飯縄山(いいづなやま)や戸隠山(とがくしやま)などの霊場が数多(あまた)あり、古(いにしえ)より武力だけでは支配できぬ特殊な勢力が根付いており、京の比叡山(ひえいざん)や南都の吉野山(よしのやま)に匹敵するといわれておりまする。栗田寛久ならば、そうした者たちとの橋渡しにもなれまする。いかがにござりまするか、御屋形様」
「その栗田とやらを引き入れ、景虎にもうひとつ謀計を仕掛けるか」
「北条高広に加え、二重の謀叛(むほん)にござりまするか」
「さようだ。越後と北信濃で公然と叛(そむ)く者が出れば、景虎とやらも少しは眼が覚めるであろうて」
「では、屋代正国を通じ、それがしが会うてもよろしゅうござりまするか?」
「そうしてくれ。善光寺平での仕込みは、そなたに任せる。余は素知らぬ振りをして木曾を攻めることにする」
「承知いたしました」
 一任を得た真田幸綱は頭を下げる。
 晴信はこの漢を信濃先方(さきかた)衆の筆頭と見込んでいた。
 もうひとつの謀計を水面下で動かしながら、晴信は木曾谷攻略の支度を着々と進める。弟の信繁、馬場(ばば)信房(のぶふさ)、駒井政武を中心として、この戦を動かすつもりだった。
「高白(こうはく)、木曾谷の勢力について説明してくれ」
 晴信に促され、駒井政武が地図を広げる。
「畏(かしこ)まりました。木曾谷は塩尻宿から洗馬(せば)を抜け、南西に続く狭隘(きょうあい)な道にござりますが、最初に立ち塞がるのが、千村(ちむら)俊政(としまさ)の守る贄川(にえかわ)城にござりまする」
「千村俊政とは?」
「木曾谷の地頭、木曾義康の腹心にござりまする。義康の本拠である木曾福島(きそふくしま)城から塩尻宿へ出る途上を守っているのが贄川城」
「その千村とやらを寝返らせることはできぬのか?」

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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