第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)4
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
この漢は唯一、景虎よりも歳下の侍大将であったが、柿崎景家に次ぐ武辺者になるのではないかと将来を嘱望されている。しかも、強面(こわもて)が多い越後勢の中で、生来の明朗な性格が自然に雰囲気を和らげる役目を果たしていた。
「ともあれ、軍評定が始まれば、そこで御屋形様の真意も明らかとなりましょう。御屋形様の顔色のことで、われらが気を揉(も)んでも仕方ありますまい」
本庄実乃が歩きながら、直江景綱に耳打ちする。
「さようだな」
重臣たちが密談を交わしている間に陣所の設営が終わり、幔幕内で軍評定の支度が調っていた。
総大将を大上座に戴き、一軍を預かる二十余名の将たちが勢揃いした。
長尾景虎は行人包を解き、折烏帽子(おりえぼし)の上に白い鉢巻を締めている。その下には如来像を思わせるような端整な面相があった。
他人を見る時、凝視ではなく、わずかに顎を上げて半眼になるのが、この漢の癖だった。
ゆっくりと一同を見渡し、長尾景虎が重々しく声を発する。
「地図を、これへ」
その指示で、小姓たちが一畳ほどの板を運んでくる。
そこには善光寺平全体の地勢が細かく描かれていた。
「では、安芸守(あきのかみ)。敵状の説明を」
景虎が加地(かじ)春綱(はるつな)に命じる。
「承知いたしました。武田の本隊が布陣したのは、犀川を挟んだ南側の川中島にござりまする。犀川には東側から西側にかけて、市村(いちむら)、丹波島(たんばじま)、小市(こいち)という主要な渡しがあり、この南岸を武田勢の先陣が封じておりまする。さらに、厄介なのは善光寺の南西にあります旭山城に叛旗を翻した栗田寛久と武田の兵が籠もっており、出城の如き役目を果たしているのではないかと。この山城を攻める場合、われらは市村、丹波島、小市に押さえの軍勢を配置した上で、城攻めの兵を出さねばなりませぬ。それでは兵力が分散し、決して上策とは申せませぬ。さりとて、喉にかかった小骨の如き旭山城を放置しておくわけにもまいりますまい」
「旭山城に入った武田の兵はいかほどか?」
景虎が訊く。
「事前に相当な数の兵と小荷駄が入ったようで、おそらく二千から三千の間ではないかと」
「武田の本隊は?」
「軒猿の目算では、五千強かと」
「われらがどこかの渡しに狙いを絞り、総軍で対岸の武田本陣へ攻め入れば、旭山城の伏兵が横腹を突いてくるということか」
景虎から総軍攻めの言葉を聞き、一同に緊張が走る。
途端に、評定の場が強(こわ)ばった。
──いつもより、将たちの気配が、ささくれ立っておる。余が怒りのままに力攻めに出ることを危惧しているということか。
景虎は眼を閉じ、長い息を吐く。
──確かに、武田晴信の謀計は腹立たしく不快である。されど、その感情をそのまま戦場に持ち込むほど、余は稚拙ではない。こたびの戦、われらは先手を取られ、後手を引かされた。それがまごうかたなき事実。そこから策を組み立てねばなるまい。まずは、相手の挑発に乗った振りをし、あえて愚直な戦を構えてみるか。その上で、後の先を取る。
瞼(まぶた)を開いた景虎は、静かな口調で言葉を発する。
「上策ではないにせよ、戦の常道に従い、それぞれの渡しに兵を置き、麓から旭山城を攻めてみるのがよかろう」
意外な言葉に、強ばった場の空気が揺らぐ。
「それが相手の注文だとしても、先手を取られた上で戦いを急ぐのは、さらに状況を悪くする恐れがある。少なくとも、今のわれらは劣勢ではない。ただ、後手を引かされただけだ。まずは、武田の籠城がどれほどのものか、検分してくれようではないか」
冷静な策を述べた景虎を見て、一同に安堵(あんど)が広がった。
「この戦、少々長引くやもしれぬ。各々、抜かりなきよう頼む」
「御意!」
一同は声を揃えた。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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