第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)5
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
「はい。綱一本で谷を渡るような、常人には決して使えぬ経路を行き来しておりまする」
「旭山城の兵粮は充分であるか?」
「あと三ヶ月(みつき)以上は保つかと」
「さようか。ならば、あとはいつ景虎(かげとら)が痺(しび)れを切らし、動いてくるかだな」
晴信が腕組みをしながら頷(うなず)いた。
そこに御座処(ござしょ)の外から声が響いてくる。
「失礼いたしまする、兄上。信繁(のぶしげ)にござりまする」
「おお、典厩(てんきゅう)か」
「遅くなりましたが、ただいま着陣いたしました」
「入ってくれ」
晴信に促され、信繁が中へ入って一礼する。
「遠路、ご苦労であった。そこへ掛けよ」
信繁が向かい側にある床几(しょうぎ)に腰掛けた。
「木曾谷(きそだに)の様子はどうか?」
晴信が木曾谷攻略を指揮していた弟に訊く。
「木曾義康(よしやす)に目立った動きはござりませぬ。われらは贄川(にえかわ)城と藪原(やぶはら)砦の修築を終えまして、鳥居(とりい)峠までの備えは万全にござりまする」
「さようか。よくやってくれた」
「こちらの状況は、いかがにござりまするか?」
信繁の問いに、跡部信秋がこれまでの経緯を伝えた。
「なるほど、やはり、越後勢は犀川の北岸に留(とど)まったままにござりまするか」
信繁が身を乗り出す。
「兄上、実はお願いがござりまする」
「何であるか」
「それがしを犀川の先陣に出していただけませぬか?」
「そなたを先陣に?」
「さようにござりまする。越後勢の先鋒(せんぽう)がまだ動いておらぬのならば、是非に先陣で敵の動きを見ておきとうござりまする」
「されど、典厩。そなたには余の輔翼(ほよく)を務める役割が……」
「兄上、総大将の輔翼ならば、義信(よしのぶ)がすぐ担えるようになりまする。これから戦が大きくなればなるほど、先陣の役割が重要となり、兵部(ひょうぶ)や真田(さなだ)だけではなく、この身も一翼を担えるようになりとうござりまする」
信繁が熱をこめて言葉を続ける。
「それが甘利(あまり)の望みでもあると思いますゆえ」
「……そういうことか」
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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