よみもの・連載

信玄

第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)5

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 晴信は小さく唸(うな)る。
「我儘(わがまま)とは存じておりますが、どうか、お願いいたしまする」
 信繁は深く頭を下げた。
 ――この弟は、己が武田の先陣大将として立つことこそ、今は亡き傅役(もりやく)、甘利虎泰(とらやす)の遺誡(ゆいかい)に従うことだと心に刻んでいるのか……。
 遺誡とは、死後に残す訓戒のことだった。
 つまり、言葉だけではなく、故人が生様(いきざま)そのものをもって示した教えである。
「……そなたがそこまで申すならば、その意を汲(く)もう。明朝から丹波島(たんばじま)の先陣を任せる。兵部にはその旨を伝え、小市(こいち)の陣へ移ってもらうことにする。典厩、越後勢の先鋒は必ずや動いてくる。それがわれらの好機だ。くれぐれも逃さぬよう、細心の注意を払ってくれ」
 晴信の言葉に、信繁が頷く。
「承知いたしました」
「では、伊賀守。そなたに兵部への申し送りを頼む。加えて、敵の先陣について典厩へ詳しく説明してくれぬか」
「御意!」
 跡部信秋が一礼してから立ち上がる。
「兄上、それがしもこれから丹波島の先陣を見に行ってまいりまする。では、失礼いたしまする」
 信繁は御座処を出て、跡部信秋と一緒に厩(うまや)へ向かう。
「伊賀守、直入に訊ねたい。越後の先陣大将は、誰であるか?」
「おそらく、柿崎(かきざき)景家(かげいえ)ではないかと」
「柿崎……景家」
 その名を脳裡(のうり)に刻むが如(ごと)く、信繁はゆっくりと反芻(はんすう)する。 
「いかなる武将か?」
「一言では申せませぬ。少々長くなりますが、よろしゅうござりますか?」
「構わぬ。聞かせてくれ」
「わかりました。越後勢の本拠地、春日山(かすがやま)城がある直江津(なおえつ)から北国(ほっこく)街道を北東に五里(二十`)ほど進んだところに柿崎という宿場がありまする。ここは古くから上越(じょうえつ)と下越(かえつ)の双方を睨む交通の要衝。柿崎家はその宿場を睥睨(へいげい)する木崎山(きざきやま)に城を構え、一帯に勢力を持つ地頭(じとう)にござりまする。天文(てんぶん)年間(一五三二〜五五)に越後守護の上杉(うえすぎ)家で内訌(ないこう)が起き、柿崎景家はその際に景虎の父である長尾(ながお)為景(ためかげ)の麾下(きか)で数々の武功を挙げ、一統の惣領(そうりょう)と認められたようにござりまする。そうした経緯から、長尾家の相続をめぐる諍(いさか)いの時も、いち早く景虎の支持に廻(まわ)り、今では重臣の一人に数えられておりまする。受領(ずりょう)は和泉守(いずみのかみ)、所領は三万貫ほど。そして、景虎曰(いわ)く『柿崎、もし分別あらば、七郡に手の合う者あるまじ』とのこと」

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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