よみもの・連載

信玄

第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)5

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 跡部信秋の言葉に、信繁が微(かす)かに眉をひそめる。
「越後の七郡にも敵(かな)う者がおらぬと?……それだけ剛の者ということか」
「はい。確かに、越後では剛勇無双の勇将と讃えられているようにござりますが、景虎の言葉がまことならば、戦場(いくさば)で荒ぶると思慮分別を欠いた猪武者(ししむしゃ)と化すのやもしれませぬ」
「もし分別あらば、か。なるほど……」
 信繁が頷きながら訊く。
「して、柿崎の旗印は?」
「家紋は九曜(くよう)にござりますが、もうひとつ、蕪菁(かぶら)紋を好んで旗印にしているとか」
「かぶら?……正月の七草粥(ななくさがゆ)で食べる、あの蕪菁か?」
 信繁が言ったように、蕪菁は春の七草のひとつであり、根と葉は食用として用いられる。正月七日に粥に混ぜて食べると邪気を払い、無病息災で過ごせると伝えられていた。   そのため厄除(やくよ)けの験(げん)を担ぎ、蕪菁の図柄を旗印に使う武者もいる。
「さようにござりまする。柿崎景家は黒ずくめの具足の胴に金泥(きんでい)の蕪菁紋を入れているとか、いないとか」
「七郡に並ぶ者なき剛将が、わざわざ蕪菁紋か……。越後の将は、変わっているな。他に、そなたが気になる者はおらぬか?」
「幾人かはおりまする。順に、お話しいたしましょう」
 跡部信秋は「越後の鍾馗(しょうき)」と呼ばれている若武者、斎藤(さいとう)朝信(とものぶ)について話し始める。
 丹波島の先陣に着くまで二人は轡(くつわ)を並べ、信秋は諜知(ちょうち)によって得た越後勢の内情を詳(つまび)らかに伝えた。 
「……それにしても、よく調べ上げたものだ。感服したぞ、伊賀守。これからの当家にとって、三(み)ッ者(もの)の働きは欠かせぬものになるな」
 信繁は小刻みに頷きながら言う。
「有り難き御言葉にござりまする」 
 跡部信秋は微かな笑みを浮かべて頭を下げた。
 駒を繋いでから、二人は飯富(おぶ)虎昌(とらまさ)のところへ向かい、配置換えの申し送りを行う。
「兵部、すまぬ。そなたの役目を奪うつもりはなかったのだが……」
 信繁が飯富虎昌に詫びる。
「滅相もござりませぬ。本来ならば、ここは備前(びぜん)殿の持場。典厩様が受け持たれるのならば、何の異論もありませぬ。それがしは小市に移り、真田と交代であちらを固めておきまする」

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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