第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)5
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
「重ねて、すまぬ」
「いいえ。それよりも、お気を付けくださりませ、典厩様。ここのところの日照り続きで、だいぶ水嵩(みずかさ)が減り、騎馬で押し通れるぐらいになっておりまする。それがしが越後の先陣ならば、そろそろ頃合いと見まするが」
「そうだな。ところで、ここの足軽大将は誰であったか?」
「菅助(かんすけ)にござりまする」
「山本(やまもと)菅助か。今はどこにおるのであろうか?」
「あそこにござりまする」
飯富虎昌は犀川沿いに立てられた四竿の旗を指差す。
「川縁(かわべり)で御屋形様肝いりの大旗を守っておりまする」
「さようか。ならば、それがしはこれから犀川を下見に行く」
そう言ってから、信繁は四竿の旗に向かって歩き始める。
川沿いでは、足軽衆が衡軛(こうやく)の陣を布き、敵に備えていた。
衡軛とは元々、牛車の先端にある衡(くびき)と軛(ながえ)のことであり、小さな両翼の後方に縦列の兵を配した陣形がそれに似ていることから名付けられている。
晴信の発案で、武田勢は小型の鶴翼(かくよく)と組み合わせて衝軛の陣を用いることが多い。
今回も川沿いには小鶴翼の足軽隊が配置され、四竿の旗本に足軽大将の山本菅助がいた。
「これが兄上自ら揮毫(きごう)したという孫子(そんし)の大旗か?」
信繁がたなびく旗を見上げながら、菅助に話しかける。
「おお、典厩様。ご苦労様にござりまする。御屋形様がこれを立てよとお持ちになりましたが、見事な墨蹟(ぼくせき)だと思いませぬか」
「確かにな。この旗を倒すために犀川を渡ってみせよ、という挑発なのであろうか」
「毎日、われら足軽の者どもが戯歌(ざれうた)などを歌い、誘っておりますが、敵はいっこうに動く気配がありませぬ。時折、物見らしき兵が川縁まで出てきますが、すぐに戻っていきまする」
「さようか」
信繁は対岸に眼を凝らす。
「菅助、明朝から兵部に代わり、それがしがこの先陣を預かることになった。よろしく頼む」
「それは心強い。典厩様が先陣の大将ならば、われらの士気も大いに上がりまする」
「どうやら、この日照りも続きそうだ。夏枯れも近いゆえ、これまで以上に気を引き締めてかかろう」
「承知いたしました」
「それがしはいったん本陣へ戻るゆえ、後の事は頼む」
信繁は大堀館で報告を済ませた後、夜には丹波島へ戻った。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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