第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)5
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
翌日、夜明け前から犀川の畔(ほとり)へ出る。
――不気味な静けさだ。
対岸の様子を注視するが、敵の姿は見えず、一人で思案を始めた。
――こたびの戦構えは兄上が仕掛けたものだが、これをどう覆すか、景虎の力量を試すおつもりなのか……。
『敵の渡河を待ち受けて攻めよ』
それが孫子の説く上策だった。
兵法の常道から言えば、大きな川を挟んで軍勢が対峙(たいじ)した場合、先に渡河しようとした方が不利を被りやすいとされている。川の半ばでは弓箭(きゅうせん)に狙われ、水面から川縁に上がろうとしたところを上から攻められるからである。
当然のことながら、睨み合う二つの軍勢は不利になるとわかっている渡河を強行したりはせずに戦況が膠着(こうちゃく)する。互いに相手を挑発しながら、何とか先に動かそうとするが、大概は不発に終わって睨み合いが続く。
それでも、渡河を敢行するということは、圧倒的な力の差を確信している場合か、あるいは相当の策を隠している時だった。
――騎馬で渡河してくる敵を弓箭と槍足軽が迎え撃つというのが戦い方の基本だが、やはり、最も警戒すべきは夜討朝駆(ようちあさがけ)か。そのためには兵を四交代で編制し直した方がよいかもしれぬ。
信繁は兵の疲労を鑑み、三刻(六時間)ごとに交代させる策を考えた。
――加えて、何らかの理由で最前列の陣を突破された時のために、衝軛の第二陣に騎馬隊を配置しておいた方がよいかもしれぬ。
そこに確たる狙いがあったわけではないが、直感がそのように囁(ささや)きかけていた。
――それにしても、暑くなりそうだ。
東の空に顔を出した太陽を仰ぎ見た。
その日から、信繁は己が考えた策を素早く実行に移す。自らは敵の夜襲や朝駆に備え、深夜から払暁にかけて陣に入り、昼間に短く眠った。
その間も日照りは続いており、一ヶ月近くも雨が降っていなかった。
犀川の水嵩は減り続けていたが、越後勢は相変わらず物見を放つだけで大きな動きを見せていない。
武田勢がここに布陣してから、間もなく三ヶ月がたとうとしていた。
そして、信繁が先陣に入ってからは、すでに十五日以上が過ぎ、日中の暑さのせいで兵たちにも疲れが見え始めている。
払暁まで前線にいた信繁は陽が出てから帟(ひらはり)の下で眠ろうとしたが、暑気と喉の渇きで寝入ることができなかった。仕方なく川縁に出て、水を浴びようとした。
陽は中天に差しかかり、兵たちの多くは午飯(ひるめし)を終え、日陰を探して休憩している。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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