第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)5
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
そのうちのひとつ、「扶桑略記(ふそうりゃくき)」に書かれている仏教渡来の条によれば、欽明(きんめい)天皇の御代十三年(五五二年頃)に、朝鮮半島の百済(くだら)国聖明(せいめい)王が献じた一尺五寸の阿弥陀仏像と一尺の観音像と勢至(せいし)像が、実は善光寺の阿弥陀三尊像であるという。
これを初の女帝である推古(すいこ)天皇の御代十年(六〇二年頃)四月八日に、秦巨勢大夫(はたのこせのたいふ)という者が信濃へ送ったと記されている。
もうひとつ、「伊呂波字類抄(いろはじるいしょう)」という書物には、同じく推古天皇の御代十年に信濃国の麻績(おみ)村へ阿弥陀三尊像が移され、さらに四十一年を経た皇極(こうぎょく)天皇の御代元年(六四二年頃)に水内(みのち)郡へと移り、この時、善光寺が創建されたとも伝えられている。
そして、この一帯に伝わる「善光寺縁起」では、欽明天皇の御代十三年に百済国より摂津難波(せっつなんば)に漂着した阿弥陀三尊仏が、推古天皇の御代十年に信濃水内郡へ移ったとしている。
どれが正統を伝えるものか定かではないが、いずれも百済国との関わりと神話聖代とも言うべき太古からの由緒を伝えていることに違いはなかった。
このように謎多き聖地として善光寺の門前は、阿弥陀三尊詣でをする人々で溢(あふ)れかえり、自然に信濃一の町となって栄えてきた。つまり、伊勢(いせ)参りなどと同じく、善光寺参りに訪れた人々の莫大(ばくだい)な落とし銭がもたらされたのである。
善光寺をめぐる争いは今に始まったことではなく、古くは源氏の木曾義仲(よしなか)と平氏(へいし)の小笠原(おがさわら)頼直(よりなお)の合戦までが伝えられている。源平合戦の頃から綿々と善光寺平の権益をめぐる争いが続いてきた。
こうした深い内情を知った上で、晴信は栗田寛久を取り込んでいた。その善光寺別当職が密かに絶対秘仏を持ち出し、戦の後に甲斐へと運んだのである。
長尾景虎との二度目の戦いは、犀川を挟んで痛み分けのような形で終わったが、晴信は確実に戦後の利を手にしていた。
合戦が行われている間に、京では朝廷が戦乱の終熄(しゅうそく)を祈念し、天文二十四年(一五五五)十月に改元を行い、弘治(こうじ)元年という新しい元号を定めていた。
しかし、川中島での戦いがこれで終結するはずもなく、善光寺平に引かれた一線はかりそめのものに過ぎなかった。
大堀館から引き揚げた後、晴信は弘治元年十一月に木曾義康と義昌(よしまさ)の親子を降伏させ、南信濃の平定を完成させた。
当然のことながら、その双眸(そうぼう)は信濃一国の完全制覇を見据え、犀川以北の北信濃に向けられていた。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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