よみもの・連載

信玄

第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)6

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

「御屋形(おやかた)様、こたびは都からの御縁談にござりまする」
 満面の笑みを浮かべ、宇佐美定満が相手の身上書を差し出す。
「……宇佐美。この前も申したはずだが……」
 渋面(しぶづら)になった景虎の言葉を、定満が膝を乗り出して遮る。
「この前のお話は、この前のお話。これは御屋形様の上洛(じょうらく)にも関わる話ゆえ、是非とも真剣に聞いていただかなければなりませぬ。こたびの縁談は京の清華(せいが)家、西園寺(さいおんじ)公朝(きんとも)様からいただきましたお話ゆえ、前回の如(ごと)く一言で断るわけにはまいりませぬぞ」
 清華家とは、公卿(くぎょう)の中でも最上位の五摂家に次ぐ家格であり、大臣や大将を兼ねて太政大臣まで上り詰めることができる七家のことだった。
 今回、宇佐美定満が持ってきたきたのは、清華七家のなかでも三条(さんじょう)家に次ぐ西園寺家からの縁談である。
「……なにゆえ、わざわざ京から、さような話が」
 景虎は戸惑いの色を浮かべる。
「おやおや、何の不思議もありますまい。御屋形様ほどの美丈夫で、鰥夫(やもめ)の漢前(おとこまえ)が都を闊歩(かっぽ)する様を眼にしましたならば、裳着(もぎ)を済ませた娘たちが色めき立つのは当然ではござりませぬか。ただし、こたびは西園寺公朝様が先の上洛で御主上に拝謁なされた御屋形様の姿をご覧になり、その凜然(りんぜん)たる様子に感服なされ、直々(じきじき)に御三女との縁組はどうかと仰せになられておりまする。公朝様といえば、清華家当主のなかでも異例の早さで御昇進なされ、今では都の右大臣。まもなく、さらに位を上げ、左大臣におなりになるのではと、もっぱらの評判にござりまする。有り難きお話ではござりませぬか」
 定満の説得に、景虎は眉をひそめて黙り込む。
「いかがにござりまするか、御屋形様」 
「……有り難き話かもしれぬが、余は武田や北条との戦(いくさ)で忙しい。よしんば、正室を迎えたとて、かまうてやる暇(いとま)があらぬ。それにまだ、くだらぬ諍いで家中が動揺しておるではないか。もう少し落ち着いてからでないと婚儀などもできぬであろう。とにかく、すぐには無理だ」
「暇は作るものにござりまする」
「……暇が……暇ができたならば……余は月を愛(め)で、盃(はい)を重ね、謡(うたい)を口ずさむだけでよいのだ。それぞ、武人の嗜(たしな)み。今は女子(おなご)にかまけている気分ではない。戦の合間には、好きなことをして心身を休めておきたい」
「何を申されまするか。女子を愛で、情を重ね、世継ぎを設けるのも、立派な武人の嗜みにござりまする。ご新造(しんぞう)様の膝枕で、ゆっくりと心身を癒してもらえば、よろしいではありませぬか」
 宇佐美定満が畳みかけた。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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