第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)6
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
「……わかった、わかった。いずれ、考える」
景虎は仏頂面で答える。
「武田晴信(はるのぶ)か、北条氏康(うじやす)との決着がついたならば考えてみるゆえ、こたびの話はそなたがうまく言い繕い、戦で忙しいと断ってくれ」
その顔を、老臣がじっと見つめる。
――御屋形様がこうまで頑なに縁談を拒まれるのはなにゆえか……。もしかすると、どなたか想(おも)い人(びと)がおられるのか!?……だとするならば、相手は縁組ができぬような女人なのか?
宇佐美定満が眉間に皺(しわ)を寄せ、眼を細めた。
「……なんであるか、宇佐美」
「御屋形様、正直にお答えくださりませ」
「……な、なにを」
「どなたか、想いを寄せておられる御方がいるのでありましょうか?」
「藪(やぶ)から棒に、何を申すか!……さような相手は……おらぬ」
「まことに?」
「まことだ」
「ますます合点がいきませぬ。だいたい、御屋形様はお世継ぎのことを、いかがお考えになっておりまするか?」
「……今はやることが多すぎて、世継ぎのことまでは考えられぬ。わかるであろう、そなたも」
「大事な縁組を後回しにすれば、手遅れになることもありまする。それにいつまでも良い縁談に恵まれるとは限りませぬ。だから、この老体に鞭(むち)を打ち、差し出(いで)がましいことをしているのではありませぬか」
「わかっておる、宇佐美」
景虎はついに本音を吐露する。
「……されど、正直に申せば、余は女人が苦手だ。どのように機嫌を取ればよいか、見当もつかぬ。何を話せばよいかもわからぬ。それを考え始めると気が滅入るゆえ、今は嫁娶(よめとり)などしたくないのだ。目先の政(まつりごと)と戦に専心したい」
「わかりました。そこまで申されるならば、これはお預かりいたしまする」
宇佐美定満は厳しい表情で身上書を引っ込める。
「されど、御屋形様。先の事も含め、よくお考えくださりませ。政に専心と仰せになるのであれば、越後の国主たる御屋形様の御婚儀は私事ではありませぬ。どのような家と縁を結ぶかを含め、まさしく越後にとって大事な政にござりまする。また、次の惣領(そうりょう)をお決めになることは、まごうかたなく治政の要。男子(おのこ)が授かるかどうかは運だけでなく、夫婦(めおと)の努力が必要になりまする。裏方台所にしても、御屋形様のためだけに役目を果たすのではありませぬ。家臣たちにも嫁がおり、その女人たちをまとめるのも御台所(みだいどころ)の大きな役割。一門一家をまとめるとは、さようなことの積み重ねにござりまする。どうか、熟慮断行をお願い申し上げまする」
老臣の真摯(しんし)な諌言(かんげん)はことごとく的を射ていた。
その苦い言葉が景虎の胸に刺さる。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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