第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)6
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
――宇佐美の申すことは、いちいちもっともで、反論の余地もない。されど……。
「……そなたの申す通りだ。家中の問題を含め、少し独りで考えてみる」
景虎は神妙な面持ちで答えた。
「差出口(さしいでぐち)を叩(たた)き、申し訳ござりませぬ。どうか、お許しくださりませ」
宇佐美定満は深々と頭を下げた。
そんな出来事があり、景虎はしばらく様子を見ていたが、内訌は収まるどころか、密かに沸騰していた。
もちろん、宇佐美定満も縁談を断るような素振りがなかった。
景虎は釈然としない思いを抱えながらも、己の考えをまとめるため毘沙門堂に籠もっていたのである。
まずは煩悩と邪念を捨て去るために陀羅尼連誦の行に挑んだが、これまでのように無心になることができなかった。
口や指先はいつものように動くのだが、脳裡には次々と無用な考えが浮かんでくる。凡俗な悩みや怒りが泡の如く現れては、すぐに弾けてしまう。まったく行に集中できていなかった。
――ああ、御師(おし)様のもとで修行に励んでいた頃が懐かしい。あの頃は何の迷いもなく行に没念し、無心になれた……。
景虎は師である天室(てんしつ)光育(こういく)の薫育(くんいく)を受け、林泉寺(りんせんじ)で修行をしていた頃を思い出していた。
齢(よわい)七で入部(にゅうべい)してから七年間、ひたすら修行に励み、師の導きによって僧侶になるものだと思っていたのである。
しかし、齢十四になった年、越後で内訌が起こり、還俗(げんぞく)して栃尾(とちお)城々主となることが決められた。その話に一番驚いたのは、当人だった。
景虎は不安にかられ、すがるように老師へ問いかけた。
『御師様、いきなり城主になれと言われても、何をすればよいか、まったくわかりませぬ』
『ふっ、何もわからぬか』
天室光育は柔和な笑顔で答える。
『はい。この身は城主になるための修行はしておりませぬゆえ、見当さえつきませぬ』
実直で常に努力を怠らない若者ほど、最初から己が理想とする姿を求め、物事を真っ直ぐに捉えすぎて融通が利かない。
景虎もそのような性向を持ち、己に完璧を課し続けてきた。
『……いったい、どうすればよろしいのでしょうか?』
狼狽(ろうばい)する弟子の様子を見た天室光育は、その問いを一笑に付す。
『わからぬならば、どうすることもできぬ。ならば、何もせねば、よろしい』
『えっ……』
景虎は意外な返答に驚く。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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