第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)6
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
『……されど、御師様。家臣から何か難しい判断を仰がれたり、下知を請われたならば、いかがいたせばよろしいのでしょうか。城内に入ってからは、ただ黙っているわけにはまいらぬではありませぬか』
『そなたは城主としては、答える言葉を持っておらぬのだから、黙っているしかあるまい』
天室光育はにこにこと笑いながら答える。
『それでは無能だと侮られまする!』
景虎が食い下がる。
『最初は、ほぼ無能なのだから仕方があるまい』
『そんな……』
『無能には無能なりの黙り方というものがある。要は、見映えだ。そのことを申しておるのだ!』
天室光育が一喝した。
景虎は返す言葉を失い、口唇を真一文字に結んで恨めしそうに老師を見る。
『答える言葉も持たぬくせに、無理に答えを出そうとするから、人は浅い底を露(あら)わにしてしまう。答える言葉を持たぬ時は、黙って相手の眼を見つめておればよい。さすれば、その者がいかなる意図で問いを発したのか、さらなる問いを重ねて、やがてその意味が瞭然となる。それでもまだ、答えを言う必要などない。黙って眼を見つめておれば、次の刹那、相手が自分の望んでいる答えを聞き返してくるはずじゃ。後はその問いを大義に照らし、思うたままに是か非かだけを答えてやればよい』
老師の教えを聞き、景虎は何かに気づきそうになる。
まるで禅問答のようだった。
『よいか、虎千代(とらちよ)。この七年間の修行で、そなたには武門に戻っても何ら他の者と遜色(そんしょく)のない器量が身についておる。しかも、その芯には、不動の心というものも宿した。母上から言われた通り、そなたが依怙に流されそうになる己を何度も乗り越えてきたからだ。揺るがぬ心。これだけは禅の修行をした者に与えられる特別なものであろう。修行を重ねていない者は、この不動心というものを持っておらぬ。それゆえ、そなたは若輩の俄城主として皆の前に立っても、まったく動ぜずにすべてを受け止めることができるはず。されど、そなたの学んだものは、まだ修行者のそれにすぎぬ。これから、俗世の波に揉(も)まれながら実践が始まるだけだ。焦ることはない。わからないことがあっても当然。まずは、己が何もわかっていないということを悟ることが肝要。皆は最初、不動のそなたをいぶかしがるであろうが、いずれ、それを受け入れる。その時初めて、不動心が威光というものを発するようになるのだ』
この訓戒を聞き、やっと天室光育の真意を理解した。
――今、やっとわかった。すべての修行は、かような日がくることを見越されていた御師様の慧眼(けいがん)のもとにあったのだ。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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