よみもの・連載

信玄

第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)6

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

「さようか。ならば、話だけでも聞いてくれぬか」
「御師様、それがしは人を束ねる役目に向いておりませぬ。どうか、出家をお許しくださりませ」
「拙僧が許しても、御家臣たちは許してくれそうにない」
 天室光育の言葉を聞き、長尾政景が平伏する。
「御屋形様、どうか、お戻りを」
「お願いいたしまする」
 家臣たちも一斉に両手をついて願う。
「そなたら……」
 景虎は顔をしかめながら言葉を続ける。
「……かような処(ところ)で平伏などするな。村人が訝(いぶか)しげな顔をしているではないか。面(おもて)を上げてくれ」
「御屋形様、われらが宿を見つけますゆえ、どうか、そこでお話を。お願いいたしまする」
 長尾政景に従い、家臣たちも声を揃(そろ)える。
「お願い申し上げまする」
「……わかった。わかったから、皆、立ち上がってくれ」
 景虎は困まり果てた顔で言った。
 長尾政景は吐田の佛頭山極楽寺(ぶっとうざんごくらくじ)に寄宿を頼み、さらなる説得に及ぶ。
「外の敵と戦わねばならぬ時に、我欲にまみれた家臣同士の争いを一門に持ち込むなど、言語道断。御屋形様の苛立ちは、ごもっともだと思いまする。されど、越後は御屋形様がいなければ、まとまりませぬ。再び一門がばらばらになり、他国に侮られるのは我慢なりませぬ。若い者たちは、それがしが責任を持ってまとめまする。重臣の方々は大和守殿と宇佐美翁殿がまとめ直すと申されておりました。われらは謹んで御屋形様に臣従し、以後は決して二心を抱かず。これを誓紙に認め、お渡しいたしますゆえ、どうか春日山城へお戻りくださりませ」
「御屋形様、お願いいたしまする」
 他の家臣たちも懇願する。
「景虎殿、そなたは越後国主として、すでに答えるべき言葉を持っているはずだが」
 天室光育も言葉を添えた。
 景虎はしばらく俯(うつむ)き加減で黙っていた。
 しかし、伏せていた長い睫毛(まつげ)を上げて応える。
「皆に謝らねばならぬ。我儘(わがまま)を申してすまなかった」
 景虎が頭を下げる。
「越後へ帰ろう」
「御屋形様、有り難うござりまする」
 長尾政景と家臣たちが深々と頭を下げた。
 天室光育はただ静かな笑みを浮かべ、一同を見守っていた。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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